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宮里優作が代打でご挨拶(2月7日)

これだけ絵になる“代打”はいない。宮里優作が、ゴルフトーナメントの主催者で構成される日本ゴルフトーナメント振興協会(GTPA)の新春の恒例行事に、華を添えた。同協会が、毎年男女ツアーで顕著な成績を残した新人を“ルーキー・オブ・ザ・イヤー”として選出して表彰する受賞式で、男子ツアーを代表してマイクを握った。

今年、2期目の選手会長に就任したのは大学の後輩。「でも勇太は今日、都合が悪くて」。今年も池田勇太を担ぎ上げるかわりに、少しでも負担を軽くするため、他の理事メンバーが万全の協力体制を敷くことになった。

「みんなで持ち回りでやっていこう」と、今年は副会長を務めることになった宮里も、すでに今週は宮崎で、主に若手選手を対象に行われている強化セミナーの“開講式”で、これまた池田のかわりに参加選手たちの前でエールを送っており、この日7日はそれに続く今年2度目のピンチヒッターだった。

「実は今日は皆さんの前で、ご挨拶をすることは事前に聞いていなかったので、びっくりしていますが」とふいにスピーチを振られて戸惑いつつも、「今年もジャパンゴルフツアーはJGTOの海老沢会長のもと挑戦と貢献をスローガンに、若手選手やジュニア育成にもしっかりと力を入れて、次世代につなげていけるようなトーナメントを目指していきます」と、堂々と我らが男子ツアーをアピールだ。

今回は、受賞式の主催者にとっても願ってもない“登壇”となった。というのも昨年のツアー最終戦「ゴルフ日本シリーズJTカップ」は、なんと50回の記念大会を迎えて、それほど永きにわたってゴルフ界に貢献してこられた功績を称えて、受賞式の最初に記念のプレートが贈られた。

その記念大会を制したのが宮里だった。しかも最後は劇的幕切れ。3打差で迎えた最終18番で、奥からのアプローチをトップして、反対側の崖まで落とす絶体絶命のピンチも、次の3打目をチップイン。奇跡の逃げ切りVに誰より驚き、腰を抜かしたのも本人だった。

悲願のツアー初優勝に、止まらない涙。感動に包まれた優勝シーンは、歴史に残る名場面となった。その張本人が、続いてマイクを握って主催者を喜ばせた。宮里は、2005年の“ルーキー・オブ・ザ・イヤー”でもある。
「当時は、優勝もしないままにいただいた賞だったのですが・・・」と、その点にも恐縮しきりで、実は昨年には、恩師にこんな打診を受けていたことを明かした。
東北福祉大の阿部靖彦・ゴルフ部監督。「お前、このまま勝てないんだったら、お前が大学の監督をやれ」。あやうく“後継者”にさせられるところを「結局出来なくて、残念ですが」と、おどけて笑わせたがこの日は2013年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた松山英樹の代理で駆けつけた恩師の目の前で、一皮剥けた姿を披露することが出来たのも嬉しい。

11年もの時をかけて1勝の壁を破った宮里には休む間もなく今年は、初の賞金王獲りの期待がかかる。
「それこそ一筋縄ではいかない。諸先輩方が、苦労に苦労を重ねてつかみ取って来られたものですので。1勝の僕にはまだちょっと早いとは思う」と慎重に「それよりも今は、常に優勝争いをして、確実に2勝、3勝と重ねていけるような選手になれるよう、努力を続けていきたいと思います」。
どこまでも優等生然とした受け答えは、悲願の1勝を飾っても相変わらずだ。

  • 大勢の報道陣に紛れて宮里が“激写”しているのは、この日の“マー君”の受賞シーン。「はい〜こっち向いて〜」とパシャリと「川村選手は1勝しての受賞。立派です」

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