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〜全英への道〜 ミズノオープンよみうりクラシック 2010
石川遼は52位タイに
初参戦の全米オープンから、帰国してすぐの参戦に、この週の「一番のポイントは体力」。
時差ボケや、本人にも自覚のない体の奧深くの疲れが皆無とは言えない中で、「どれだけ長い間、集中してプレー出来るか」。
74を打った最終日のゴルフだけ見れば、「まだまだ、体力不足。技術もまだまだ」と、自覚せざるを得ない。
「ところどころで足や体が止まってしまっているショットがあって」。
大会は3日目が中止となり、54ホールに短縮されて、ひとつのミスが大きく響く“短期決戦”で、いわゆる“裏街道”のインコースからスタートしたこの日最終日は前半でボギーが先行したことで、もはや巻き返しのチャンスは完全に絶たれた。
「もっと引き締まったプレーがしたかったのに。それが出来なかったのが、悔しい。気持ちの弱さですね」と、反省しきりだ。
ベストアマチュア賞には、2年連続でこちらは2つ後輩の浅地洋佑くん。24位につけた。
「せっかく洋佑も頑張っていて、薗田先輩との間に挟まれてプレーしたかったのに。こういうチャンスは、僕はいつもダメですね」と、やはり2人に順位で遅れを取った、5月のダイヤモンドカップを振り返り、改めて悔しがった。
そして、改めてこれからの課題を肝に銘じた。
「初日から最終日まで、集中してプレー出来る体力をつけていきたい。頑張らないと」。
薗田も、浅地くんも、互いにジュニアの頃からの親友で、集まってよく話したことといえば、「みんなでいつか、プロの試合で優勝争いをしよう」ということ。
「あのときの気持ちを持ち続けている子が、今もこの場にいるのだと思う」。
たまたま、そういう子たちが、母校により多く集まった、というのもあるかもしれない。
自分は連覇を逃したが、杉並学院高出身という大きなくくりでいえば、連覇達成といってもいい。
今思えば高校側の、熱意もあったと思う。
薗田も優勝会見で、「才能のある子たちを、先生が引っこ抜いてきたんじゃないですか」と笑ったものだが、監督の「この中からプロの試合で活躍出来る子を育てたい」という強い思いがいま開花して、このような結果をもたらしているのかもしれない。
互いにライバル心を剥き出して、切磋琢磨しながら、それでいで互いの健闘を心から喜び合う校風は、卒業したいまも身に染みている。
「先輩の優勝は、僕もとても嬉しい」と言って、石川は柔らかく微笑んだ。
自分は早々にホールアウトしたが、最後までコースに残った。先輩の雄姿を現場で見守りたかった。
自分が公衆の面前に姿を現せば、混乱が起きることは承知していたが、それでも直々に薗田を祝福したかった。
その姿を見つけるなり、待機していたスコア提出場から飛び出して、先輩の大きな体を両腕でしっかりと抱きしめて、「おめでとう」の気持ちを伝えた。
あれだけ願っていた、先輩とのメジャー参戦も実現した。
石川が、世界ランク50位内の資格ですでに権利を得ていた7月の全英オープンに、薗田も出場できることが決まって「夢みたい」。心強い旅の友が出来た。
150周年大会を迎える2010年度の会場は、セントアンドリュースだ。
初参戦の昨年、ターンベリーに向かう前、父親と足を伸ばして立ち寄ったゴルフ発祥の地。
「去年は、1ホール1ホールを噛みしめて回りました」という憧れの聖地でも、薗田と揃って“杉並旋風”を巻き起こせるか。