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フジサンケイクラシック 1999
桧垣繁正優勝インタビュー(2)
「この2ホールは、キャディと意見がわかれたんです。
ボクは8番は風がアゲンストだったんで、ドライバーで行きたかったんですが、キャディはスプーンで打て、と。ボクはドライバーがいいと思ったけど、これまでキャディのいうとおりやっててうまく行ってたから、キャディの意見を優先しました。ところが、スプーンで普通に打てばいいのに、力が入ってしまった。1パットのボギーとしてしました。
9番、今度は1ヤードほど足りずにバンカーで目玉になって・・・4メートルを1パットでボギー。この2ホールのパットはさすがに痺れました。8番、9番ではどちらもティショットで迷いがあったんですね。よくボギーで収められたと思います。パターで救われました」
10番ミドルでグリーンエッジからピンまで5メートルのパットを沈めバーディ。11 番ショートでも、ピンまで5メートルの「むずかしいライン」(桧垣)をしずめた。
桧垣
「先週のクラウンズで、東聡さんにパットを教えていただいたんです。グリップで、右手と地面が作る角度を意地しながら、打ちなさいと。ジャンボさんなど、強い方はみんなそうなんですが、パットのとき、ちゃんと右手を伸ばしたまま打ってる。アドレスのときのグリップのまま、クラブフェースがずれないようにしっかりグリップしてるんですね。
これはショットでも同じことなんですが、右手の角度を変えないことが大切だと教えてもらったんです」 17番ショート(185ヤード)。海風の影響をまともに受けるティグラウンドから、砲台状の小さなグリーンを狙う大変難しいホール。万一、ワンオンに失敗すれば下まで転がり落ちてしまう可能性もある危険ゾーンで、桧垣は無事ピン左奥10メートルに乗せた。これを1メートルに寄せ、パーを奪うと桧垣の顔からはじめて笑顔がこぼれた。
桧垣
「17番はとにかく乗せられるかどうかの不安がありました。5番アイアンか6番か迷って、手前にショートさせてダボとかなったらまずいだろうと思い5番で打ちました。乗った瞬間、ほ〜っとしましたね。これで最悪でも、ボギーでいけると思った。
最終18番ミドル。ティショットは右の深いラフの中へ。前方に木がせり出して、ピンは狙いにくい。桧垣は、グリーン手前の花道めがけて第2打を放った。それは花道横のラフに飛びこんだが、そこから桧垣は落ち着き払ってピン左7メートルに。
2パットのボギーで収め、2位のコンランと3打差でフィニッシュ。プロ6年目にして初Vを手に入れた。
桧垣
「18番グリーンに上がってきたときは、勝ったと思う気持ちが半分。ぜったいボギーで収めようという気持ちが半分。左ラフから、左グリーン手前に寄せて最低ボギーでいこうと。それは、3打差あったからできたことかもしれませんけれども、それもラッキーな16番などがあってこそでしょう。
先週は今野君が勝ち、去年は横尾君、片山君など同世代が次々勝って…自分もできるだけ早く勝って、肩を並べたい気持ちがありました。
でもなかなか勝てなかった。それで、今オフ、自分には何が必要か、いろいろ考えました。その中で、目標設定できたことで、ゴルフの技術を上達できたことが大きなポイントだと思っています。開幕当初は予選落ちがつづきましたが、昇り調子だったから、落ちこんだはしなかった。
これまで、うまくやろうという気持ちがカラまわりして、だんだん、ゴルフをすることさえイヤになりかけていました。でも今は、ゴルフをやっていて楽しいと思えることが本当に嬉しい。そういう気持ちで勝てたということが、何より充実感につながっています。
今年は、この1勝で満足せず、気持ちをゆるめたり天狗になったりすることなく、ぜひもうひとつ勝ちたい、という気持ちでやりたいと思っています」。
桧垣繁正
昭和46年10月17日生まれの27歳。大阪府出身。小学生のころから英会話、ピアノを習うかたわら、6年生のときはじめてクラブを握る。大阪の箕面自由学園高校のとき、日本ジュニアの代表に。ゴルフの名門・近畿大学時代は日本学生で優勝。平成6年にプロテスト一発合格。初シードは平成9年(ランク20位)。弟・豪も、兄の後を追って、平成8年にプロ入りしている。