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セカンドクォリファイングトーナメントのエントリー受付
40歳という年齢もさることながら、何よりも反響が大きかったのは五十嵐がまだ一度もシード権すら獲得したことがなく、昨年のツアー獲得賞金はなんと0円の選手だったということだ。
出場権すらままならなかった時代が何年も続き、年齢を考えてみても、とっくに諦めていてもおかしくはない境遇にあった。
しかし、「体が続く限りはゴルフをやる。勝てるまでやる」と頑固なまでに初心を貫き、ファイナルクオリファイングトーナメント(通称ファイナルQT)はランク9位の資格で参戦したプロ17年目の今季、みごとに大輪の花を咲かせてみせた。
けっして派手な選手ではない。ものすごく飛ばすわけではないし、振る舞いもどこか控えめ。
照れてあまり自分を語りたがらず、報道陣に囲まれてもニコニコと人の良い笑顔を浮かべたまま、モゴモゴと口ごもってしまうような、そんな選手だ。
しかし、だからこそ説得力があった。
高い志と努力を惜しまなければ、誰にでもチャンスがあり、願い続ければ夢が叶う日は必ずやって来ると、しみじみと思わせてくれた優勝シーンだった。
その余韻は翌週の日本プロゴルフ選手権の会場にも漂っていて、どの選手も五十嵐の名を口にして、「励まされた」とか「僕も頑張りたい」とか話したものだ。
その中に「でも五十嵐さんは、いつ勝ってもおかしくはない選手だった」と言った選手がいた。
そんな実力者がこれまで日の目を見なかったのは、「ちょっとした運の違いだった」と。
2001年の三菱ダイヤモンドカップでプレーオフの末に2位につけ、初シードも確実と言われながらシーズンも土壇場で弾かれて、そのあと不遇の時期を過ごすことになったのも、「やっぱりちょっとした運の違いで、今回の奇跡は五十嵐さんが勝ったことじゃなくて、そのあとも五十嵐さんがけっして夢を諦めず、根気よくチャンスを待ち続けたことなんじゃないのかな。五十嵐さんはQT組にとっても大きな希望の光です」。
石川遼を筆頭に、若手の台頭めざましい男子ツアーにあって、不惑の快挙に再び若き日の夢を思い出し、勇気づけられた方も多かったのではないだろうか。
そんな人も、まだまだ遅くはない。まずは、もういちどスタートラインに立つことから始めよう。
来季の出場優先順位を決めるクォリファイングトーナメントのセカンドステージは、6月17日よりエントリーの受付を開始します。
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