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僕らのツアー選手権 / 五十嵐雄二の選手権

大切なのは、あきらめない心©JGTO
「苦節」という、いかにもな表現を、本人たちは拒むかもしれない。しかし、そうとしか言いようのない苦難を乗り越え、遅咲きの花を咲かせた男たちのストーリーがある。

才能、努力、チャンス、そして一番は諦めないこと。ここからは、その大切さを教えてくれた3選手の「ツアー選手権」である。

その年09年。40歳の五十嵐雄二は、ファイナルQTランク9位の資格で大会を迎えた。

プロ17年目にしてツアー優勝はおろか、シード権も得たことがない。前年の08年のツアー獲得賞金は0円。5年シードのこの”日本タイトル戦”で得た優勝賞金3000万円は、それまで17年分の賞金を差し引いてもまだ余った。

その瞬間はふいに訪れた。
通算8アンダーの首位タイで、先に上った五十嵐は、18番グリーンサイドで後続の結果を待った。
プレーオフを覚悟していた。
「ドキドキして喉が乾いた」と、水をがぶ飲みしたその瞬間、トップで並んでいた韓国のI・J・ジャンが、上りの連続ボギーで崩れた。

「本当に?俺が勝っちゃったの?」。
茫然自失の本人に代わって泣き崩れたのは、8つ上の次兄、修さんだった。

母親を8年前に心不全で亡くし、5年前には末弟の五十嵐に、プロ入りを強く勧めた長兄をガンで失い、父親は寝たきり。

母と兄の遺影をしのばせ、プレーについて歩いた修さんが、涙ながらに訴えた。
「あいつはほんとに優しい弟なんです!」。

修さんが、弟の観戦に来たのはそれが初めてだった。
「あいつはいつか必ずやってくれる。それが今だ」と、なぜかこの週、胸騒ぎがして駆け付けた。

18歳の92年にプロ入り。でもいっこうに芽が出ず、いくら予選落ちが続いても、翌日にはけろりと「優勝を狙ってくる」と、出かけていく弟。
「体が続く限りはゴルフをやる。勝てるまでやる」と、めげずに夢を追う末弟が、不幸が続いた家族の希望の光だった。

プロ17年目の「選手権」で、値千金のツアー1勝をつかんだ。
5年シードと海外ツアーの出場権を手にして本人は戸惑っていた。「これからずっと、試合に出られるほうが嬉しいかも」と、笑っていた。

「あそこからまたレベルアップして……と、思って頑張ったけど」。その後、次の2勝目も得られないまま、5年シードの猶予も消えた。2015年には出場権を無くしてレギュラーツアーからは撤退

「まあ…自分の実力だよね」と、苦笑いで振り返った51歳。五十嵐雄二にとっての「ツアー選手権」とは?

「今思えば、自分のレギュラーツアーの[[最後の集大成]]だったかな?」。

だが、かつてのタイトルに、しがみつく気はない。
「だって、それでメシが食えるわけじゃないからね」。
一昨年にはシニアデビューを果たし、新たなキャリアを求めて再び歩き始めた。
「だって、結局大事なのは今でしょ? 過去にどんなことをしてても関係ない。それでメシが食えるわけじゃないからね」。
とつとつと、繰り返した言葉にほんの少し、力がこもった。

「スポーツ選手に、過去は関係ない。大事なのは今」。

遅咲きのツアーチャンピオン。新天地でも何よりの武器はあきらめない心。新たな優勝を目指して、シニアツアーの開始を待つ。
  • 昨年は、歴代覇者によるジュニアイベントで選手権に貢献してくれました!

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