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ANAオープンゴルフトーナメント 2004
チャワリット・プラポール タイ人チャンピオン第1号は、週3万円のキャディ生活からスタート
「ミークワンスー!!」。
喜びの第一声は、地元・北海道在住の友人、山下ソムチットさんが訳してくれた。
「本当に、嬉しいです!」。
日本ツアー参戦1年目にして、早々と歴史に名を刻んだ。
「僕にこんな栄誉が訪れるなんて・・・まだ信じられません」。ポーカーフェイスがたちまち崩れて、満面笑顔がこぼれ出た。
その人懐っこい笑顔とは裏腹に、強烈な負けず嫌いだ。それはゴルフだけに限らない。暇つぶしのテレビゲームでも、大いに発揮される。
「うちの小学生の子相手に真剣勝負してる。それがたとえゲームであっても、誰にも負けたくないんですね」こう証言するのは、転戦中にプラポールが身を寄せている、兵庫県伊丹市の上江洲安秀さんだ。「まるで子供が、そのまま大きくなったみたい・・・(笑)。そういうがむしゃらさが、今回の優勝につながったのは間違いありません」。
それは、子供のころに身につけたハングリー精神だった。
タイの首都・バンコクから約160キロ東にあるチョンボリ地区に住んでいたプラポールが、本格的にゴルフを始めたのは9歳のときだが、実は19歳になるまで自分のクラブを持っていなかった。国内ではゴルフクラブは非常に高価なもので、当時のプラポールには手に入れらなかったのだ。
家族の援助も受けず、自宅から歩いて10分のネイビーゴルフクラブで週3万円のキャディをしながら、貸しクラブで腕を磨いた。
年に1回行われていたキャディ選手権で3連覇を果たすなどめきめきと頭角をあらわして、ようやく“マイクラブ”が持てたのはナショナルチームに選抜されたときだ。有望選手として、無償のクラブが支給された。
それを持って22歳で母国を飛び出し、98年には、アジアンツアーで2勝(オリエントマスターズなど)。そしてこのANAオープンで掴み取った生涯最高額の優勝賞金2000万円は、すでに一部を、母国の寺院に寄付すると決めている。
母国では、「自分が得たものは必ず、人に分け与える」という伝統があるそうだ。
「そうして、もっと良いことが再び自分にも巡ってきますように・・・。タイの文化です」(プラポール)。