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自称・諦めない男の2016年を振り返る
賞金2位にとっても、今年は目には見えない力が引き起こす奇跡をまざまざと、見せつけられた1年となった。賞金王も、最優秀選手賞も逃したが、谷原秀人はサンドセーブ率と、Unisysポイントランキング賞で初めて1位になった。
特にUnisysポイントランキング賞は、総合的に優れたプレーヤーを選出することを目的に、賞金ランキングや平均ストロークなど、部門別ランキングの主要9部門をポイント換算して選出される。
谷原と、本当に最後の最後まで、賞金レースを争い賞金王を射止めた池田。「結果的に賞金王になれたのは僕なんですけど、各部門の合計では谷さんが1位を取るわけじゃないですか。それがゴルフの面白いところ」と表現した。
谷原本人は「僕自身もびっくり」と話した。「総合的に良かった人がもらえる。毎年、指をくわえて見ていた賞。今年1年頑張った甲斐がありました」と、12月5日月曜日に都内で行われたジャパンゴルフツアー表彰式で、喜びを語った。
「勇太との賞金王争いも決着がついたいま、思うことは勇太がいたからこういう賞をいただくことが出来たということ」と、後輩のライバルにも感謝した。
7月のセガサミーカップに続き、翌週の日本プロで“北海道2連勝”。2007年以来となる自身2度目の2週連続Vから始まった今年の快進撃のかげには、池田には昨年亡くした“育ての祖父”の存在があったように、谷原にも大切な人との別れがあった。
2月に天国に逝った父親の直人さん。
5月末には1週間でいっぺんに2つのメジャー切符を獲得して、全米オープンには初めて母親を現地に誘ったのも「生きている間に、何でもやってあげないとダメだ、と。オヤジが教えてくれたこと」。
普段はめったに話をしなかったという父親と、たまに口をきけば「あのときのあのショットは何だ」とか、そのくらいで年中無休で地元広島の尾道で、料理店を切り盛りしていた直人さんとじっくりと将来について、話し合ったこともなかった。
今年は結局、賞金2位に終わった悔しさを、墓前にぶつけても返事は帰ってこない。
「それでも今年は最後まで頑張れたのも、オヤジからの“なんか”がきっとあったんだと思うわけですよ」と、谷原は言った。
特に池田とのデットヒートが激化した終盤戦は、ショットで不振を極め、やっと立て直したと思ったら、今度は得意なはずのパットに最後まで苦しんだ。
もはやこれまでか、と本人も周囲も、諦めムードが漂い始めた時こそしぶとく息を吹き返して応戦した。
今季3勝目は、やはり池田との大バトルを制した11月の「HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP」で自ら言った。「諦めない男」の称号をひっさげて、池田と抜きつ抜かれつのレースは本当に最後の最後まで、逆転キングの可能性を感じさせる大健闘だった。
周囲が「こうなれば面白いのに」という絵に描いたような展開を、これでもか、と見せてきた。「自分でも、今年はなぜそういうことが出来たのかわからない」。
いよいよシーズン最終戦で言った。
「メンタルは、強い方だと言われる。いつも平坦で、波立たない。練習が、メンタルを強くする」と、本人も断言したとおりに、もちろんこれまでの血のにじむような努力が土台にあって、その上で「今年は目には見えない“なんか”があったんでしょうね」と、もう一度言った。
谷原にとっても初の賞金王は逃したが、今年最後の最終日に親友やファンや、関係者のみなさんからたくさんのメッセージを受け取ったという。
「感動をありがとうとか、谷原さんのプレーを見て勇気や元気が出ました、とか。そういう嬉しい言葉を本当にいっぱいもらって。それで、思ったんです。今年、自分が最後まで頑張れたのは、応援してくれる大勢の人たちの思いに引き出された部分もあったんだ、と」。
天国の直人さんも息子の諦めない戦いを、きっと最後まで見守っていた。
「支えてくれた人たちや、ファンのみなさん、そしてオヤジにも、改めて感謝ですね」。
激動の1年の最後に改めて頭を下げた賞金2位は、来年も早々からまた、さっそく自身2枚目のマスターズの切符をにらみ、最後まで諦めない挑戦を続けるつもりだ。
※94ポイントを獲得して、Unisysポイントランキング賞を受賞した谷原には、5日月曜日のジャパンゴルフツアー表彰式で、一般社団法人日本ゴルフツアー機構より記念のトロフィと、日本ユニシス株式会社の平岡昭良・代表取締役社長より賞金100万円と、「東京ディズニーランド・ニューイヤーズイヴ・パスポート」が贈られました。