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青木功トークショー②

<日本ツアーで5度の賞金王と、アメリカへの挑戦>

大西:賞金王を5回取ったときは、ジャンボさんと2人で賞金王を争ってAO時代を築いたんですね。

青木:ジャンボは曲がらないで飛んだ。それで、一気にブレークしたわけだけど、でも俺はパターではジャンボには負けないぞ、という気持ちがあったから。ジャンボよりも先にプロとしてやってきていたし、トレーニングだってここまでやってるんだから、負けるわけがないってね。そういう自負もあったから、ここまで来られたと思ってる。

大西:1980年の全米オープンで、ジャック(・ニクラウス)と優勝争いのあと、青木さんに「ジャックってすごいだろう?」って聞いたときも、青木さんは「いや別に」って答えたよね。

青木:だってさ「すごい」って言っちゃったら、もうその人には勝てないよ。確かに、自分の気持ちの中ではすげえなあ、負けるかもしれないなあ、というのがあるんだけど、でも「すごい」って口に出しちゃったら、それ以上いけないっていうのが自分の気持ちの中にあったから。

大西:日本人選手が海外にいったときは、そういう気持ちがいちばん大事だよね。

青木:そうだよ、同じフィールドで、同じスポーツをやっていて、その中で何が自分の支えかっていったら、自分でこれだけやったんだからっていうのしかないわけよ。
負けるかもしれないけれど、でも、そんなわけないって、俺はあれだけやってきたんだからって、どんなときでもプラス思考じゃなくっちゃ、やってられないよ。

大西:青木さんは、完全プラス思考だね

青木:うん、マイナスになったことないよ。…もっともスコアは“マイナス(=アンダー)”だけどね(笑)。

大西:日本人選手の中には、むこうの選手に気後れしちゃうっていうのもあるでしょう?
海外に行って、自分の実力を発揮できないって人、多いですよね。

青木:それはやっぱり、英語ができないとダメだとか、そういうこと考えちゃってるのもあるんじゃないかなあ?英語なんて、なんとかなるのにね。あと、自分の色を出そうとしているわりに、日本人ってみんなけっこう引っ込み思案でしょう。なんで俺はそういうことができたのか、自分でも不思議だけれど、やっぱりね、ゴルフさえやっていればなんとかなるってそういう気持ちがあったから。それ以外は何も考えなかったよね。

大西:そんな思いがジャックとの死闘につながった。

青木:確かにね、あれやって自信ついた。だって2位の次は優勝しかないんだもん。あのあと、ゴルフが変わってきた。早いグリーンにあわせる打ち方とかね。

大西:アメリカに行ったときは、早いグリーンに苦労していたもんね。でも、結局、同じ道具とスタイルで通してしまったよね。

青木:僕らはもともと、芝目の強いコウライグリーンで育ったから。強目にヒットして、カップの淵に当てて入れる、みたいなパットに慣れていたから、ベントの早いグリーンは距離感をあわせるのがとても難しかったけれど、でも、あれこれ変えても遠回りするだけだと思ったからね。

大西:去年、9勝もしたビジェイ・シンは、シーズン途中に、青木さんにパット教わってるんだって?

青木:イギリスでね、あまり良くなかったみたいで、練習グリーンでいきなり「イサオ、パター教えてくれ」って。彼、長いの(長尺)使ってたでしょ?
うまくいかないの、当たり前だよね。こんな風の強いコースで、こ〜んな長いの使ってたら、アドレスで体動いちゃうだろうって。クラブでも、同じだろう? ピンを狙うクラブほど、だんだん短くなって体も地面に近づいていくんだから、パットでそんな長いの使ってたら、うまく打てるわけないだろうって。
「でも、これしか使えない」っていうから、ちょっと教えてやったのよ。そしたらそのあと優勝したんだよね。だから、去年の勝ち星のうち2勝分くらいは俺のおかげだよ。次会ったら、少し賞金よこせって言ってやろうかな(笑)。それくらいの価値、あるよね?!

大西:そうだね、2年連続の賞金王にもかなり貢献しているよね(笑)。ところで話を戻すけど、80年の全米オープンのときは、しばらくジャックが勝ててなかったときだったんだよね。

青木:そうなんだよ、もしあのとき俺が勝ってたら、ジャックはあのあともしばらく勝ててなかったかもしれないんだ。でも勝たせちゃった。あれで、生き返らせちゃったの(笑)。でも、もし俺が勝ってたら、俺、死んでたかもね…。それくらいジャックには熱狂的ファンが多かったからね。

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