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青木功が日本赤十字社に“大鵬号”を寄贈(1月13日)

左から、寄贈式に臨んだ青木、納谷芳子さん、近衛忠煇・日本赤十字社社長
昭和を代表する国民的英雄の遺志は、“世界のアオキ”に引き継がれた。第48代横綱・大鵬こと納谷幸喜(なやこうき)さんが、生涯をかけて続けてこられた貢献活動が、今年も無事継承された。

絶大な人気で、相撲界に一時代を築いた。その大鵬さんが、昭和44年から日本赤十字社に寄贈を始めたのが、血液運搬車の「大鵬号」である。
当時はいわゆる売血から献血の移行期であり、社会問題にもなっていた運搬車の不足という世情に胸を痛めた大鵬さんが、「大鵬の名前で社会に恩返しがしたい」と、以来贈り続けてきた“大鵬号”は、70台を数えるという。

平成25年1月に、大勢に惜しまれながら亡くなられたあとは、奥さまの芳子さんの呼びかけで復活。平成26年には、この主旨に賛同した横綱・白鵬関から、復活第一号となる71台目が寄贈されたのを機に一時期は途絶えていた新たな大鵬号の運用が、再び始まった。

そして今年は73台目として、芳子夫人が亡き夫の遺志を託したのが、ゴルフ界のレジェンドだった。

60年代には「巨人、大鵬、卵焼き」との流行語を生み出したほど。その人気ぶりは社会現象にもなった。「僕の時代はね、見るものといえば野球と相撲だったから。小さいころから大鵬さんのファンだった」と懐かしそうに振り返ったのは、1月13日に芳子夫人とともに、都内の日本赤十字社で行われた寄贈式に臨んだ青木功だ。

「思えば私の闘争心は、あのときに植え付けられたのかもしれないね」と、幼な心に焼きつけられた大鵬さんの勇姿を改めて、脳裏に描きなおせばなおさら「これも何かのご縁」と今年、新しい大鵬号は青木と、王貞治氏、日野皓正氏ら各界のレジェンドがゴルフを通じた社会貢献を目的にスタートさせた「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」の大会実行委員会を通じて寄贈が決まったことは、感慨深い。

「この大鵬号も、私たちの大会もそうだけど、こういう活動は出来るだけ長く続けていくことが大事で、来年も再来年も、大会を続けていく限り、不足しているものや、困っている人たちを助けてあげられたらいいな」と72歳の決意も硬くなる。

「私も今まで、いろんな人に助けられてここまで元気にやってきたけど終わりはいつ来るかも分からないから。明日、来るかも分からないから。悔いを残さないように、少しでも多く、還元していきたい」と、力をこめた。

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