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時松隆光が、みちのく寄贈旅
盛岡駅からタクシーを乗り継いで、この日はまず、県社会福祉協議会敷地内の「ふれあいランド岩手」へ。
岩手は今年のコロナ禍でも、もっとも長く感染者ゼロを保ち続けた県である。時松も、こまめに消毒液を使うなど、感染症対策を徹底して、チャリティ寄贈式に臨んだ。
選手会が、2011年に起きた東北大震災の復興支援活動を始めて9年目になる。
当初は、各トーナメント会場での募金活動などで集まったお金をまとめて支援団体に預けるなどしていたが、回を重ねるうち、選手たちの中から「東北の方たちに、もっと寄り添ったサポートをしていこう」との声があがった。
さっそく地元の方々の声をお聞きし、震災で傷んでしまった道路でも、小回りが利く軽自動車の福祉車両を寄贈すると決めたのが2015年。
以来、その年の選手会長が、各3県の市町村に出向いてお届けしにいくのが恒例となった。
「……本当にいいんですか?」と、この日は岩手県野田村への寄贈車内でマジックペンを持たされ戸惑いの顔を上げた時松。
「遼さんもしましたか?」
ダッシュボードへの選手会長の直筆サインは、もはやお約束。
野田村は、かの朝ドラ「あまちゃん」のロケ地にもなった海沿いの美しい町だ。
時松も”先代”にならってまっさらな車両にペンを走らせ、「男子ツアーのマークが入った車が町を走ると思うと嬉しい。お買い物に行けない高齢の方々の買出しなど、たくさん使っていただければ」。
昨年まで各3県の市町村に、毎年10台ずつ贈り続けて、寄贈車両は180台に達した。
だが、今年はコロナ禍でほとんどの試合ができなかったこと、また感染症対策や九州で起きた豪雨災害などにもチャリティ金を振り分っていく方針が選手会で決まり、今年はやむなく大幅に数を減らして、各県1台ずつの寄贈となった。
その分、寄贈車の「スズキ アルト」を「L4WD CVT」に変更。太いタイヤを履かせて、四輪駆動車にしたのは昨年まで2期つとめた石川遼が、たまたま昨年の寄贈式で「冬場は、特に山道の運転が大変」。雪国ならではのご不便を聞いたのを、大切にご意見として持ち帰って選手会で協議したから。
「今年は各県1台の寄贈とはなってしまったのですが、車はしっかりバージョンアップ致しております」と、新選手会長として、丁寧に経緯を説明した時松。
これで、雪の日にも安心して使っていただける。
来年は震災から10年を迎えるが「あの災害を、いつまでも忘れてはいけない。これは、選手みんなの思いでもあります」。
地元メディアの取材を受けて、しっかりと選手会の思いを伝えてこの日のうちに、盛岡から東北新幹線で仙台に移動。
翌21日は午前中にまず、「スズキ自販宮城」で寄贈式を行い午後から福島へ。
駆け足で回る。
前日19日には、山梨県庁で「フジサンケイクラシック」関連の寄贈式を済ませて、レンタカーで夜のうちに都内に戻った。
明朝10時20分発の「はやぶさ」に乗り込んだが「多分、東京駅で新幹線の切符を買ったのは今日が初めてです」。
福岡県出身の時松は普段、飛行機での移動がもっぱらで、こんなに長く新幹線で移動する機会がなかった。
みどりの窓口を探して右往左往したり、慌ただしい合間をぬって、昼食は盛岡駅の立ち食いうどんで済ませたり「なんか……すごい”出張感”があります」。
リュックにスーツ姿の選手会長が、通勤ラッシュに紛れてただいま奮闘中です。