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僕らのツアー選手権 / 小平智の選手権
それはまだ、初シードすら持たない時代。
前年の12年の「選手権」を大会最年少で制した藤本佳則とは同い年。中学時からの仲だった。
「彼にできて、自分にできないことはない」。
励みにしながら、自身はデビューから、3年あまりをくすぶっていた。
2010年のチャレンジトーナメント(現AbemaTVツアー)で、史上初のアマVを達成。だがプロ転向を決意したその年は、QTファーストから地道に勝ち上がるしか道はなく、その後2度の挑戦も、シード権の獲得には至らなかった。
その間に沸き起こった2学年下の石川遼や松山英樹らが台頭する若手旋風に、やっと追いつけたのが23歳、13年の「選手権」だった。
初Vの会見で「遼くんや英樹は年下なのに、僕よりもずっと経験豊富。まだまだ及ばないけど、これでちょっとは追いつけたかな」と、言った
「QT出身の自分が活躍すれば、いまツアーを目指している子たちも頑張ろう、と思ってくれる」と、初々しく喜びを語った。
ビッグタイトルでの初Vを契機に毎年、勝ち星を重ねて今や通算7勝。
15年の「日本オープン」では池田勇太との死闘を制した。
日本勢として、5人目の米ツアー制覇を達成した18年末には、ゴルフ日本シリーズJTカップで凱旋Vを果たして日々、成長と進化を続ける。
小平智にとっての「ツアー選手権」とは……?
「ずばり、コースとの闘い」。
13年の初V後の「選手権」としては、17年の3位タイが最高位。15年には5位タイに入ったが、さすがの米ツアー覇者もまだ、大会2勝目には届いていない。
「毎年、優勝したときのイメージで試合に臨んでいますが毎回、コースに打ちのめされてしまう。超難コースです」。
試合のない週に、改めて振り返っても、真っ先に思い出されるのは宍戸の難しさ。
大会の複数回優勝は、それぞれ2勝の伊澤利光と宮本勝昌の2人だけ。
次の帰国時にはぜひ、再び難コースに打ち克ち新たな歴史を刻んでみたい。