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僕らのツアー選手権 / 青木功の選手権
今年の最強ツアー選手を決定する先週の、5年シードの日本タイトル戦「日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ Shishido Hills」も来年度に順延。
JGTO主催の大会週も、静かに過ぎていった。
「私たちが今までに経験したことのない状況になってしまっている」と、JGTO会長の青木功。
「もどかしい思いもあるし、この先を考えて、正直、不安な思いもある」と、吐露する。
99年に、大会主催のJGTOを立ち上げた初代会長の島田幸作氏とは、プロ同期。
現役時代はよくケンカもしたが、なんでも言い合える良きライバルで、無二の親友だった。
島田氏から、JGTO理事に、とのオファーを最初に受けたのは、島田氏がガンでこの世を去る2年前だった。
熱意に負けて、青木が特別顧問職を引き受けた08年の11月に、島田氏は旅立った。
島田氏の遺志を受け継ぎ小泉直氏と、海老沢勝二氏がJGTO会長を歴任した8年間を、理事として脇から支えた。
そして、2016年には青木も会長に就任。
ツアー通算51勝、5度の賞金王と日本人選手最初の米初優勝の実績と経験を駆使して同年の「ツアー選手権」から、大会の成功とさらなる発展につとめてきた。
「特に、コースセッティングにおいては、どうすれば選手が世界で闘っていく技術を身につけてくれるか。どうすれば、観ていてくださっている方々に、興奮と感動を与えることができるかと、常に考えてきました」。
青木が仕掛けた挑戦に、みごと選手たちが応えて、感動ドラマを描いてくれた時の喜びは大きかった。
一方で、青木が予想していた以上の優勝スコアを選手が出した際には次年度への、さらなる課題を突きつけられるようで、いっそう気合が入った。
主催者として、青木がこの「ツアー選手権」を担当するようになってから、一貫して掲げるテーマがある。
「『このタイトルだけは譲れない』。この一言に尽きます」。
ツアー最強選手という、唯一無二のタイトルを駆けて挑んでくる選手たち。
「その熱い思いにこたえるべく、私もこの大会には相当の想いと覚悟を持って臨んでいます」と、青木。
「時には厳しさも必要と心を鬼にして、宍戸の1番ホールから、18番ホールまでの各選手のプレーの流れ、ストーリーを常に頭に描きながらセッティングしています」。
だが、そんな志も、今年は未知のウィルスに阻まれた。
会長就任から5年目に迎えた最大の危機には、まだ出口が見えていない。
「誰が悪いわけではないけれども、トーナメントを開催できない状況となってしまっていることを、本当に悔しく思う」と、嘆くが、世界のアオキが嘆いたままではおれない。
「前に進んでいくしかない。このような状況になってしまったからこそ、男子ツアーが今まで以上に盛り上がる形を創り出すことを、課されているのではないか。今こそチャンスに変える時。そう前向きにとらえていきたいです」。
安全と平常が戻るまで、いまは身動きのしようがない。
「この先も、厳しい環境が続くことになるとは思いますが、男子トーナメントを支えてくださっているすべてのみなさま方に、何とかお力をお貸しいただき、この状況を打破していきたい。どうかこれから先も男子ツアーを応援してください。よろしくお願いします」(JGTO会長・青木功)