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コロナ禍での異例の人事から2か月。新・選手会事務局長が奮闘中

デスクワークは、意外と嫌いじゃないんです ©JGTO
時松隆光が選手会長に就任し、今年1月から新体制でスタートしたジャパンゴルフツアー選手会。
だがこのコロナ禍で、人事の見直しに迫られた。
6月22日の理事会で承認された中で、もっとも大きな改編は、選手会副会長の池田勇太の「同・事務局長」の兼任が、新たに決定したことだ。

プロゴルファーが同職に就任するのは、1984年の選手会発足以降、初である。
「コロナがなければ、そんな必要もありませんでした」と、池田。異例の人事が、昨今の異常事態を象徴している。

その職務について「選手会とJGTOのパイプ役」と、池田は説明したが、ほかにも選手間の情報伝達役や、会議や理事会、主催者へのプレゼン資料の作成や折衝など、煩雑な事務作業が山とある。

スポンサーの挨拶回りや、イベント時のスピーチなど、その年の男子ゴルフの顔ともいうべき「選手会長」の仕事とは異なり、「事務局長」は多くの時間をデスクワークに取られる。

本来なら、プロゴルファーが兼務できるような内容ではない。

歴代の「事務局長」は、企業やほかのスポーツ団体での広報経験者や、あるいは日本ゴルフツアー機構(JGTO)の職員の兼任などが通例だった。
今年も新たに外部から、新任を雇い入れる計画があったが、新型コロナウィルスの影響で、いったん見送りとなってしまった。

そのうちに、ツアーの中止や延期が相次ぎ、外国人選手の入国問題など、懸案事項が山積みされた。
「誰かが事務局の仕事をやらなければいけない状況となって、選手会長や、選手会上層部の選手たちから『やってもらえないか』ということで、こういう形になりました」と、池田が空白のポストにおさまることになった。

もともと面倒見がよく、頼りにされれば、とことん尽くす。
使命にかられると、考えるより先に体が動く。

2013年に当時最年少の27歳で、選手会長に就任した際にも池田は、男子ゴルフの人気回復と、トーナメント数の増加に奔走したが、「当時の私には、周囲も顧みずに一人で突っ走ってしまった、という苦い反省もありました」。

後任の選手会長に宮里優作が就任した2016年以降は、選手会と少し距離を置いた時期もあったが、34歳の今は、周囲の声にも冷静に耳を傾けながら、持ち前の情熱を静かに燃やす。

「いかにコロナと共存しながら、1試合でも多くトーナメントの成立ができるか。ファンとの触れ合いや、ギャラリーの対応も今までのやり方が一切通用しない時代に来てしまいましたので、新たな創造や発掘が必要になってきます」と、今は週1のペースで都内にあるJGTOのオフィスに通い、愛用のタブレットは、苦心して自作した多種多様な資料でパンパンだ。

このたびの人事改編では、コロナ禍で対応が難しくなっている「社会貢献」と「ファン対応」に特化した担当部門も新設された。
7月下旬には、選手会のチャリティ活動に対して、「リシャールミルジャパン基金(リシャールミルジャパン株式会社)」から、1000万円もの支援を受けられることになり、「この大変な時期に、本当にありがたいお申出をいただいた」と、さっそく同社社長のもとに、頭を下げに行ったばかりだ。

選手会副会長兼PR担当の石川遼を中心に、皆でアイディアを出しあい構想を練ってきた選手会の広報戦略を、具現化へと導いていくのも「事務局長」の大切な仕事と心得る。
お盆の間もそのための営業回りで多忙を極めたが、ゴルフの手ほどきを受けた最愛の祖父の墓参りは欠かさなかった。
「試合で戦う姿をじいちゃんにまた、沢山見せられるように頑張るね、って伝えてきました」。
異例の就任から2か月。新・事務局長の奮闘は、まだ始まったばかりだ。

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