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僕らのツアー選手権 / 佐藤信人の選手権「歴代覇者、そして主催者として」
今年の第21回大会は、次年度に持ち越されることになった。佐藤信人は、第3回大会(当時名称「日本ゴルフツアー選手権イーヤマカップ」)のチャンピオンでありながら、この決定を裏方の立場で受け止めた。
93年のプロ転向からツアー通算9勝のキャリアを積んだが、ショット時に過剰に手などが反応してしまうイップスや、腰痛のため、14年にレギュラーツアーから撤退。
堪能な英語と話術を活かした解説業のかたわらJGTOのコースセッティングアドバイザーと、18年からは同・広報担当理事を兼任する。
選手時代はコース攻略に頭を悩ませ、タイトルへの野望を燃やした。
「勝てば5年シードや海外ツアーの出場権がもらえたり、上位で活躍できればNHKの生中継で映していただける。それも大きなモチベーションでした」。
2000年の「日本プロ」で最初の”日本タイトル”を手にして周囲の自分を見る目が変わると、おのずとその重みを自覚した。
「選手権」にむける自身の意気込みや緊張も増していった。
JGTOが威信をかけてセッティングする。難コース件との格闘の末に、プレッシャーを跳ねのけつかんだ02年大会での栄冠。
日没寸前の大会2日目は、薄暗い終盤の数ホールで、小畑貴宏キャディに頼り切り。
やにわにショットの調子を崩した週末には、きゅうきょ会場に来てもらった井上透コーチに命運を預けたのがみごとにハマった。「僕の9勝の中でも、最もキャディとコーチに感謝した大会でした」。
そんな自分がいまや主催者として、大会に携わることになるとは思ってもいなかった。
今度は選手たちを迎え受ける立場となり、いまだ戸惑いながらも、選手時代とは違う角度で夢実現のアプローチを試みる。
「『選手権』は他のトーナメントに比べてコースセッティングや、斬新なイベントなど、僕らのやりたいことに、思い切って挑戦できる試合。やっていていちばん楽しいですが、プレッシャーも大きい。選手や、スポンサーの皆さんや、何よりファンの皆さんに『この大会が”日本で一番”』と言っていただくには?」。
今年の開催は次年度に持ち越されたが、来季に向けてすでに頭を悩ませる。
歴代覇者として、また現在は主催者の一人として。
佐藤信人にとっての「ツアー選手権」とは?
「常に重圧と隣り合わせ。同時に、もっともやりがいを感じる大会です」。
今年の災禍に負けじとまい進する。