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今週の「日本プロ」は来年に延期。シリーズ「遼イズム」はじめます
今年の中止が決定してすぐに、石川遼は会場の日光カンツリー倶楽部を訪れた。
開催週の今週、5日・日曜日に日本テレビ系列で放映予定の大会特番「日本プロゴルフ特別編BIRDIE for JAPANチャリティーマッチ(15時00〜16時25分)」の収録のためだ。
本年度の会場予定だった同コースは、そのまま2021年度に持ち越される。
「大会は中止になってしまいましたが、昨年の優勝者として、今年の開催コースをプレーする機会を頂きました」と、当日は倉本昌弘・PGA会長とペアを組み、日光でのV経験があるベテランの深堀圭一郎と、17年大会優勝の宮里優作と、9ホールのチャリティテレビマッチで対戦。
「日光は高校時代に回って以来。微妙な傾斜地の上に作られていて、のぼりか、下りかなど錯覚を起こさせるような、珍しいタイプのコース」と、1年越しの連覇にむけて、改めて策を練る機会にもなり、「自分がまたそういうものを背負って日本プロで戦えるのは光栄なこと。来年も優勝を目指して頑張りたい」と、思いを新たにした。
昨年は、プロ11年目の大会初制覇。
「一生に、1回きりのチャンスを生かせたという感じ。正直、『日本プロ』は、僕には一生勝てないと、思っていましたので」。
結果が物語る。
初出場の08年から3年連続の予選落ちを喫した。4年目の11年には12位タイも、翌12年と米ツアー参戦中の16年ではまた決勝に進めず、一昨年の18年まで”7戦5落”。
毎年、各地の名門コースを点々とする会場は、どこもフェアウェイの落としどころを狭く感じて、そのために、大会自体に苦手意識があった。
しかし昨年のいぶすきゴルフクラブは、週初めの豪雨災害で、一度も練習ラウンドができないまま本戦に臨んだというのに「グリーンの読みも合ったし、非常にフェアなセッティングで違和感なくプレーができた」と、大会への苦手意識も消えていた。
鹿児島市内には、避難勧告も出されて初日は中止となり、選手会長2期目の石川のもとには、「この状況で、ゴルフをしていいのか」と、開催自体を懸念する選手たちの声も集まったが、大会主催のPGAは、1日遅れの開幕を決断。
「あの状況でも開催すると決められた倉本(PGA)会長の強い信念を感じましたし、自分としても、やると決まったからにはパッと切り替わって、勝つしかないという気持ちになりました」と石川も、腹をくくって臨んだ。
決勝2ラウンドを、1日で消化することになったタフな最終日は首位で出ながら前半の第3ラウンドで、連続ダブルボギー。
一時は首位と7差もつけられ「優勝は10%くらい」と、圧倒的不利を自覚したことで、「挑戦者の気持ちに」と、むしろそこから心新たに最終ラウンドの「66」で追いつき、黄重坤(ハンジュンゴン)とのプレーオフに持ち込んだ。
波乱の展開を、ピンそばのイーグルでみごと決着して復活Vを達成した。
17年秋まで5シーズンを戦った米ツアーから持ち帰った不振と格闘を続けた2年半だった。
昨年は、開幕早々に腰痛を患い、初の途中棄権もあった。
当時27歳。
「年月が経って変わっているのに、自分の体に対して傲慢さがあった」と、鍛え方を見直しいちから取り組んだ。
復活を期して、重ねた努力が報われた。
2年半ぶりのツアー通算15勝目を、自身初のタイトルで飾って涙もこぼれた。
感動の勝利から1年。
プロ日本一の称号にちなんでいま、昨年覇者に問いかけてみた。
「石川遼にとっての”プロフェッショナル”とは?」。
07年に史上最年少アマVを達成して翌08年にプロ入り。ツアー通算17勝。09年賞金王の石川が、12年目のいまだからこそ思う、プロゴルファー像とは?
こだわりのプロ習慣やハマっていることはあるの?
今週は、プロゴルファー・石川遼の頭の中をちょこっと探ってみるシリーズ「遼イズム」はじめます。
お楽しみに。