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V時は何日目?! 石川遼の復活劇を振り返る

胸をそらして天に向け、腰下から右こぶしを突き上げる。アッパーカットのガッツポーズは12年前の初V時と同じでも、吠える声はあの頃より太く、逞しかった。
初タイトルで飾った3年ぶりのV15には、すっかり27歳の貫禄が漂った。

今年のプロ日本一決定戦は九州豪雨の影響で、1日遅れの5日から始まった。
石川には複雑な幕開けだった。
我々一般社団法人日本ゴルフツアー機構(JGTO)が主管する普段の男子ツアーとは違い、本大会は主にシニアツアーを統括する公益社団法人日本プロゴルフ協会(PGA)の主催。
たとえ選手会長といえどもいわば”管轄外”といってよく、ましてPGAの倉本昌弘・会長(=写真左)は、レギュラーツアーで30勝を誇る63歳のレジェンドである。

それでも石川は、意を決して倉本会長の前におもむいた。
当時、開催地の鹿児島県内には避難勧告が出ていた。当地の指宿(いぶすき)市内も例外ではなく「この状況で、開催するのはどうなのか」。そんな意見は幾人かの他選手からも出ていたといい、看過できない石川は「あくまで僕一個人の意見」として、倉本会長に伝えた。

そこには関係者やボランティア、ギャラリーのみなさん、大会に関わるすべての人の安全を守りたいという石川の強い正義感があった。
「命に勝るものはない、と。それは率直に伝えさせていただいた」と、真っすぐに繰り返した。
そんな石川の声も含めてすべての意見を集約した上で、最後は倉本会長が苦渋の決断を下した。いぶすきゴルフクラブが本年度の開催コースに決まったのは2015年だそうである。幾年もかけて、舞台を整え準備を重ねてこられたコース関係者のご苦労と、開催を心待ちにしておられた地元の方々、倉本会長の熱い思い。深い理解を示した石川は、「やるからには盛り上げないと。中途半端ではいけない」。懸命に気持ちを切り替えると、今度は使命感に燃えるのだ。

史上最年少で選手会長に就任して2期目の今季は春に腰のヘルニアを患い、開幕に間に合わなかった。やっと初戦を果たした令和最初の「中日クラウンズ」も無念の初棄権。
1カ月の戦線離脱には、「不甲斐なさしかなかった」。選手としても、選手会長としても、現場にすらいられないもどかしさ。
男子ゴルフを率いる立場にありながら、「盛り上げられずに申し訳ない…」。強い責任感が復活への思いに拍車をかけたのは、言うまでもない。

07年に史上最年少V。すい星のように現れた15歳はあっという間に時代の寵児となり、何を言っても、何をやっても注目を浴び続けた。13年から5シーズンを戦った米ツアーも一昨年秋に撤退を余儀なくされた際には、本当に苦しかったと思う。
好不調にかかわらず、取材を受けない日はなくそれでも石川が、報道陣の問いかけから逃げたことは一度もなかった。どんな場面も、時にユーモアすら交えて真摯に答え続けた。

先月は多忙をぬって、東北3県で一泊二日の貢献活動。
「年月を経て、変わっているのに自分の体への傲慢さがあった」と、鍛え方を見直し合間の筋トレも休まず、スイング調整に費やした。
選手としても、選手会長としても、手を抜くことは一切なかった。劇的な復活のV15にはそんな努力の結実と共に、紆余曲折の人生と、数々の試練で磨かれた心技体の著しい成長があった。

12年前にはなかった貫禄の口ひげ。前週の大会でも話題となっており、「そのヒゲって…」と、切り出した記者がいた。
(来たな)という顔をした石川。ニヤリと笑い「いや…もう全然、何も意識はしてないんですけど、僕も歳をとりました」。
もともと濃いほうではなく10代のころは、週に1回程度のシェービングで十分だったのだそうだ。「でも今は、3日剃らなかったら周りに言われるようになりました。ほんと歳とったな〜」と、おどけて笑っていた。
優勝時は何日目だったのだろうか。
翌日のワイドショーでは「ヒゲを剃ったほうがいいかどうか」を議論する番組も。
ゴルフ以外の話題がこれほどのぼるのも、石川ならでは。
開催前の混乱を吹き飛ばして最後は自らが、地元鹿児島の人々に報いて倉本会長を喜ばせた。
平成のゴルフスターは、令和もやっぱり話題の中心だ。

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