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青木功トークショー③
大西:全米オープンのあと1983年に劇的優勝をあげて(ハワイアンオープン)、日本プレーヤーとしてアメリカのツアーをはじめて制したんだよね。
青木:最終日の18番の残り128ヤード(第3打)はね、あれは自分の感覚的にピンの上に行っちゃうと思ったんだ。だから、キャデイにピッチング貸せって言ったら、「ピッチングは届かないよ
」って言う。「大きなお世話だ、早く貸せ」って怒ったら、キャディも声を張り上げて「NO!」だって(笑)。結局、ピッチングで打ったら、入っちゃったんだけど。
大西:当時は、ピッチングウェッジで何ヤード打ってたの?
青木:まあ、115ヤードがいいとこだったよね。
大西:それが、あのときは15ヤード余計に飛んだんだ。
青木:まして、ラフだから余計に飛ぶだろう、と計算したわけなんだけど。それと、言葉は悪いけどあれはね、火事場のくそ力。気合なんだよね。
大西:青木さんにとって、アメリカツアーの魅力ってなに?
青木:向こうではとにかく、1日中ゴルフに没頭していられたね。あと、長くやってきたことで、また次に行ったときに連中が「お帰りなさい」って迎えてくれること。あれは男冥利に尽きるよ。時には選手の家に泊めてもらったり、年齢に関係なく、好きなゴルフやりながら世界中に友達が出来たっていうのが何よりだったね。
大西:今でもジャックの顔見て、背中たたいて「ハイ、ジャック」っていえるの青木さんくらいですもんね。
青木:だって、あの人は確かに帝王かもしれないけれど、それでも、僕の中で友達意識がなかったら、やっていけないよ。全米オープンのときはね、ギャラリーがみんな「ジャックバック、ジャックバック」って騒いでて。うるさいな〜って思って、俺が考えたのは「ジャックバック」の声を「青木頑張れ」って言ってるんだって思おうって。で、その気になって「サンキュー」ってギャラリーに言ってやったら、「お前に言ってるんじゃないよ」って(笑)。
大西:日本人選手には、いずれメジャーを取ってもらいたいっていうのがみんなの願いなんだけど、今いちばん近いのは丸山選手ですよね。
青木:そうだね、今では丸山もツアーの一員として認めてもらいつつあるしね。
大西:去年の全米オープンは、まさにチャンスでしたね。
青木:でもね、あのときマルが3日目だったかに言ってたんだけど、「フィル(・ミケルソン)ばっかり応援しないで、僕も応援してくれよ」って。ああ、まだ若いなって思ったよ。俺の「ジャックバック」みたいに、「フィル頑張れ」を「マル頑張れ」って思えばいいのになあってそのとき思ったよ。そのへんが、まだ彼は若いのかもしれないね。
大西:日本人選手がアメリカに挑戦して、叩きのめされて帰ってくるのは技術じゃなくて、精神力、マインドですよね。青木流でいかないと。
青木:みんなは学があって英語が分かる分、つらいのかもしれないけれど、考え方は自分次第。日本選手に必要なのは執念と、「俺はこれができる」ってものを持つことだね。相手がエルスでもウッズでも、「お前に、これはできないだろう」っていうものを持つこと。それがあれば何も怖くない。はじめから負けると思ってたら、勝てるわけないよ。