「拝啓、ファンのみなさまへ。このたびは、ご心配をおかけしています。ご無沙汰しておりますが、おかげさまで今は症状もだいぶおさまり元気にしております」
持病の潰瘍性大腸炎が、かつてないほど悪化の兆候をみせたのは、今年4月の「関西オープン」時。
月曜日のプロアマ参加後、発熱と激しい下痢の症状に見舞われ、トイレから出られなくなった。
「プレーどころではない」と大会を欠場し、しばらく安静につとめたが、いっこうに改善がみえなかったため、5月に主治医の診断書を添えて特別保障制度の適用をJGTOに申請。
公傷による長期離脱が認められ、現在は療養中だ。
2014年に初シード入りを果たし、2018年にはツアー初優勝を飾った。
コロナ禍の昨季20ー21年も、賞金ランク52位でどうにか出場権は守ったが、特に終盤は今回と同様の症状で苦しんだ。
自身のシーズン最終戦となった11月の「カシオワールドオープン」がピークで、大事をとって開幕ぎりぎりまで療養し、事前の練習も見合わせ、ぶっつけ本番では家族の付き添いを支えに「この1試合さえ終わればしばらく休める」と、気力を絞って47位Tフィニッシュ。
どうにかシーズンを戦い終えたが、「このままではいずれシード権どころではなくなるのではないか…」という不安が、今季は早々に的中してしまった。
今までも再発→どうにか落ち着く…の繰り返しだったが、今年34歳。
「年齢や体力的な蓄積もあるのかここ数年は発症の回数が増えて、スパンも短くなっていた」という。
その上、今回は過敏性腸症候群という別症状も併発するなど悪化の一途。
とてもゴルフに集中できる状況ではなかったが、それでも長くツアーを離れる決断については「次、復帰したときに、通用するのかどうか。もちろん、不安もありましたし、めちゃくちゃ迷いました」と、家族の励ましや、スポンサーのご理解、ご協力が得られなければ、踏み切れなかったかもしれない。
おかげで、今は症状に悩まされることがほとんどなくなり、「生活を賭けてプレーするということが、どれほど心や体に影響を及ぼすか。改めて痛感した」という。
「誰でも、どこかに負担を負いながらやっていると思いますが、僕の場合はそれがお腹に来て、とうとう限界が来てしまったわけですが、今は思い切って決断して本当に良かったと思っています」と、悔いはない。
むしろ「試合を休ませていただいている間でも僕に貢献できることはあるはず」と有効活用を心がけ、6月の選手会主催試合「JAPAN PLAYERS CHAMPIONSHIP(ジャパンプレーヤーズチャンピオンシップ) by サトウ食品」では会場に呼ばれてABEMAのネット解説に挑戦。
「生中継はやっぱり緊張して…。いろいろ考えちゃったのが最後のほうはまたお腹に来ちゃって」と、当初のコース内を歩くラウンドリポーターは断念。
スタッフのご厚意で、トイレにすぐ駆け込める環境も整った中継席での参加に変更していただくことで途中“棄権”もせずに済み、同じ九州の稲森佑貴(いなもり・ゆうき)が逆転の通算4勝を飾る瞬間まで伝えきることができた。
「今までなら自分も選手の立場で若手をつい嫉妬して見ちゃったり。ライバル目線で客観的に見られなかったのですが、今は自分がプレーできない分、他選手をフラットに観察できる。今後にも役立てられそうです」と休業中だからこそのメリットを、いま懸命にかき集めているところ。
この日8月10日のジュニアレッスン会には最近ゴルフを始めたという長女の亜子ちゃんと、次女の夢芽ちゃん(冒頭写真まん中)も参加。転戦中にはなかなか見ることができなかった子どもたちの成長を、間近に感じられる幸せも病気回復の一助となっている。
「1年ほどしっかりとお休みをいただいて、復活したらしっかりと結果を出せるように。僕と同じように病気やケガや、精神的なもので苦しんでいる人たちを勇気づけられたり、“こういう道もあるんだよ”というモデルケースを作ることがいま、一番の目標です」と、十万馬力も充電中。
「ファンのみなさまにはお休み中も、僕のことを気にかけてくださって本当にありがとうございます」と、改めて謝意を伝え、「元気でツアーに帰って来られた時にはまたぜひ応援のほど、なにとぞ宜しくお願いします」と、暑中お見舞いを締めくくった。