「不思議な力をもらえるというか、自分のゴルフをさせてもらえる。相性の良さを再確認できた」という。
初優勝は、18年大会だった。
さらにその2年前、16年大会の初日は、同じ熊本出身の幼なじみの永野竜太郎(ながの・りゅうたろう)と並んで首位タイに。
その夜、熊本地震は起きた。
2度目の震度7を観測したのはさらに2日後の4月16日。
家族を案じて泣きそうになりがら懸命にプレーを続けて大会は4位に(永野は3位に)。
あれから、ちょうど8年経った今も、当時の思いは忘れない。
この日は、特に県内テレビも関連ニュースが多くなる。
「家族や知人とも、やっぱりその話題が多くなります。あのときはこうだったよね、と」。
改めて、妻の和歌子さんから震災当時の状況や、車中泊での避難生活に耳を傾ける。
「僕は、揺れは経験してないけど妻や2人の子どもたちは本当に怖かっただろう、と・・・」。
自身も飛んで帰りたいのに帰れないまま、不安は増幅していった。
今年も元日に、能登半島地震が起きるなど「どこで何が起きるかもわからない。そんなときにお互いどうするか。心構えは凄く大切」。
震災から8年の今年は、たまたまツアーの日程がなく、自宅で防災や被災時の連絡方法など、日頃の備えを改めて家族と確認しあう機会になった。
毎年、初詣で訪ねる熊本城はまだ城壁に爪痕が残るが、天守は復活し、内覧も可能となった。
「自分もまたここから頑張らないと・・・」。
復興が進む故郷に自身を重ねる。
持病の潰瘍性大腸炎と、過敏性腸症候群が重なり、ツアーを長期離脱したのは22年。
昨年、特別保障制度の適用を受けて復帰をしたが、14年から守った賞金シードの継続には失敗した
ファイナルQT8位からの返り咲きを狙う今季は幸い、まだ耐えきれないほどの腹痛は出ていない。
でもその分、左手首や腰痛など、加齢による体の痛みを感じる機会が増えた。
今年36歳。
「40代、50代になってもまだまだ活躍している谷口(徹)さんや手嶋(多一)さん、藤田(寛之)さんや宮本(勝昌)さんの凄さを実感する機会も増えました」と、苦笑する。
20代のころはご近所の格闘家に紛れて重いダンベル持ち上げたり、生まれつきの痩身を酷使したが、一昨年から瞬発力や、関節の動きを良くするメニューにシフト。
年齢に応じた体作りに余念がない。
欧州ツアーと出場枠を分け合う次週の「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!(4月25日-28日、太平洋クラブ御殿場C)」に出番はないが、開幕戦「東建ホームメイトカップ」4位の資格で、次々週の「中日クラウンズ(5月2日-5日、名古屋ゴルフ倶楽部和合C)」の出場権は獲得した。
「ケガなくやれればまたシードに戻れると信じています。ここからまた這い上がっていく姿を地元の方たちにもお見せできれば」。
震災から8年、アトムの誓いである。