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今年2人目の旅人は持ってる男。小浦和也がゴルフ伝道で奇跡を起こす

前日の田村光正に続いて2日連続のゴルフ伝道旅。
27日に、宮崎県の市立宮崎港小学校を訪問した地元出身の小浦和也(こうら・かずや)は、スナッグゴルフの講習会でも持ってる男をアピールだ。



5年生の大石優心(おおいし・ゆう)さんとのガチンコ対決で、なんとティショットが一発で的にくっつく“ホールインワン”を達成。

「まさか、自分が一番びっくりでした」と言ったが、かつてアマ時代にプロの試合で2度もホールインワン(※)を記録した経験を持っている。

ミラクルぶりは、プロ9年目の今も健在!
「対決してみてプロはひと味違いました」(対戦した大石さん)と、子どもたちに一目置かせるにも十分のインパクト。
給食の黙食後もサイン攻めに合っていた。


午後から「夢を持とう」の講演会も快挙の余韻を残して始まった。


お父さんの影響で9歳からゴルフを始めたが、小学生のころの夢はパイロットだそうだ。

「ゴルフでも勉強でも一番になる」と、塾と練習通いを両立する頑張り屋さんで、好物はソウルフードのチキン南蛮。人生年表を記したホワイトボードの端にも書いてある。


南バン…


地元の日章学園高校時は同級生に、香妻きょうだいの姉・琴乃さんがいた。
プロゴルファーを目指して進んだ東京の専修大学ではアマ選抜のナショナルチームに抜擢。プロの試合でも活躍し、2014年の「日本オープン」で獲得した2年連続のベストアマは、大会史上7人目の快挙だった。


片鱗を見せつけ、2015年にプロ転向を果たした。
「順風満帆なプロ生活が始まる」と、周囲も信じた。


だが、最初のQT受験で失敗。
出場資格も得られないまま26歳で入院。


「難病を患い、お医者さんからゴルフを続けられるかも分からないと言われて。目の前が真っ暗になりました」。



底冷えの体育館が一瞬、静まりかえった。

子どもたちに聞かれても、最後まで病名を明かさなかったことにも当時の深刻さが際立った。


今も検査通院は続くが、「去年やっと体調がよくなった」と、12月のファイナルQTで13位に入り、ようやく今季前半期の出場資格を得て「ゴルフを続けていて良かった」と、噛みしめられるまでになった。


中学時代の同級生だった奥さまとの結婚を決めたのは、まだ闘病中の27歳だった。

「体調も悪く、ゴルフもできず、人生の路頭に迷っていた時です。苦しい時、ゴルフをやめようと思った時にも支えて応援してくれた」と、感謝する。


「宮崎で生まれて、大学は東京に行きましたが、縁があり、また宮崎に戻ってきました。ゴルフを通してたくさんの出会いがあり、宮崎を好きな気持ちは今は誰より負けません」と、度重なる苦難が地元愛を強くした。


小学校を起点に、小浦の現在の自宅は車で6分ほど。
さらに10分ほど海沿いを走れば「フェニックスカントリークラブ」に着く。

ウッズやケプカ、松山英樹らが勝者に連ねる「ダンロップフェニックス」の開催コースである。


「今の僕の夢は、この大会で優勝することです」と、言った。

次週には、同コースで谷口徹が行う恒例の冬季キャンプに小浦も加えてもらうそうだ。
練習ラウンドでも容赦のない、大ベテランの真剣勝負は本番さながら。何よりの予行演習になるはずだ。


「きょう出会ったみんなが僕のことを覚えてくれて、試合会場でも応援してくれたら嬉しいです」と、講話を締めくくった。
ホールインワンと共に語られた激動のプロゴルフ人生は、子どもたちの心にもくっきりと刻まれたはずだ。


※小浦がアマ時代にホールインワンを達成したのは2012年日本オープン2014年ダンロップ・スリクソン福島オープンでした。

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