記事
ダンロップフェニックス 2002
「僕も大人になったかな」
つらいことばかりが思い返されるこの1年だったが、そんな日々が横尾を、ひと回り大きくさせたことも事実だった。
それが、この優勝で、証明された。
昔のエースパターを持ち出すことで、調子を取り戻したパッティングは、プレッシャーのかかる最終日にも乱れることなく、一定のリズムを保ち続けていた。
各会場によってまったく異なる、さまざまな種類の洋芝に対応しているうちに磨かれた多彩なアプローチも、この日威力を発揮。
「アメリカに行って、確かに、グリーンまわりのショットはうまくなったかな」と自己評価するとおり、3打差で迎えた17番パー3で、左林に打ち込むピンチも、状況を読んでPWで転がす球で、うまく切り抜けられた。
昨年のテロの影響でいっそう困難になった移動、食事や言葉の問題を、懸命に乗り越えてきたことによる、精神面での成長も著しい。
4番からの4連続バーディにも決して楽観することはなく、「下には、何をするか分からない人ばかり。いつ捉えられてもおかしくない」と、警戒心は解かず、「とにかく、逃げられるところまでとことん、逃げてしまおう」と攻撃の手は緩めなかった。
特に、ウッズに関してはこの2年間、「いろんな場面を見てきたから」。
何をしでかすか分からない、と徹底マークで、17番ホールを過ぎるまでその動きから目を離さなかった。
前日3日目は伸び悩みつつ、初日、2日目のリードを守りきる我慢強さ。
「このコースは以前、いつも1日は良いスコアが出せても次に続かなかったのに。向こう(米ツアー)に行って、僕も大人になったかな(笑)」
1メートルのパーパットを外して、ボギーパットのウィニングパットには「かっこ悪い、後半のボギー3つは、計算外」と、照れ笑いを浮かべつつ、追いすがる強豪勢を1打差で振り切って大会史上4人目の日本人チャンピオンの座をもぎとったのだ。