スタートの1番からして、いきなり478ヤードもある。
「長いからさ~、おじさんにしては。届かないんだもんパー4でも。しんどいよ」と前半3つのボギー先行にはついボヤキも出た。
でも、後半10番でバンカーからのチップインを契機になんとかアンダーパーに挽回してこられたのは援軍の力。
デビューして間もなくの97年から親交を温めてきた原辰徳・元読売ジャイアンツ監督が朝6時40分のトップスタートから駆け付けついて歩いてくださった。
「原監督がギャラリーなんだよ。すごくない?!」と、ついつい自慢げに「途中で投げそうになったけど。投げれない」と、12番ではフェアウェイから6アイアンで奥5メートルのチャンスを作ってまたバーディ。
反撃の兆しを見届けた監督は、「頑張って」の言葉を残して帰られたが、その後も15番まで4連続バーディ。
惜しくも外したが、次の16番も3メートルと入れ頃だった。
2アンダーまで戻して迎えた最後18番も、右手前の7メートルをナイスパット。
グリーン横のVIPテントからひときわ大きな声援を浴び、笑顔でペコペコ頭を下げた。
主催の「藤木企業株式会社」の藤木幸吉・代表取締役社長とは日大同期で、大会アンバサダーをつとめる丸山茂樹は3つ先輩。
新規開催発足のきっかけとなった丸山と社長のラウンドに横尾も同行しており、そのご縁でグループ会社の「三協」と、関連会社の「ナカムラロジスティクス」とサポート契約を結び、ホストプロとして今年も主催者推薦をいただいた。
デビュー戦の1995年「ブリヂストンオープン」で5位につけ、98年の初優勝から5勝を重ね、2001年には米ツアーでシード権も獲得するなど活躍したが、2014年のシード落ち後は、次第にレギュラーツアーもご無沙汰気味に。
昨年に続き、1年ぶりのレギュラーツアーはさらに見知らぬ顔が増え、名前が一致するのは藤田寛之や、日大同期の片山晋呉&宮本勝昌らと一握りだ。
「この中でね、凄いよね。藤田さんもね、55(歳)だよ。こないだの全米シニアオープンも勝ちそうだったし」と、今も第一線で戦う同世代のベテランには尊敬しかない。
初日の2アンダーは、カットライン上でのスタートに「4日間やりたいけど、難しいんじゃない? そんな簡単じゃないでしょう」と苦笑しながら「頑張りますけど、諦めず」。
2018年の「中日クラウンズ」以来の決勝ラウンド進出を、原監督も熱望している。