日本人より日本語が上手い、とも言われる韓国選手、32歳の宋永漢(ソン・ヨンハン)が、47歳の小林と43歳の宮里優作と共に、3人タイの通算14アンダーから出て6バーディ、1ボギーと最後18番は右の傾斜のラフの2打目を「チョロロ・・・w」で、4オンと3パット。
ダブルボギーの決着に「あれは・・・ダメですね。まだ勉強です」と、3番でチップインなど一時は2位に5打差をつけても、結局1差の辛勝には苦笑いがこぼれた。
2016年の初優勝もとても嬉しかったが、シンガポールでの開催(日亜・SMBCシンガポールオープン)だった。
「僕はJGTO選手。次は日本で勝ちたかった」と、“ホーム”での悲願の2勝目には、トレードマークのエクボがこぼれた。
この7年で、一番の悔しさは2016年10月の「HONMA TOURWAORLD CUP」で、池田勇太に翌月曜日までかかったプレーオフで負けたとき。
「次の日までいって勝てなかったのが本当に悔しくて。今までずっと忘れられませんでしたけど。今日の優勝でやっと晴れた」と、7年越しのリベンジにも成功。
「僕が12歳でゴルフを始めたときからやりたいことを我慢して、すべて僕に注いでくれて。愛しています」と、母国で待つ父母を語ると自然と涙が溢れてくる。
でも「スピーチでワイフのことを忘れて。韓国のテレビで出ないので良かったです」と安堵し、「いつも僕を安心させてくれる。ありがとう」と、21年12月に結婚したイ・ジンイさんにもその後の会見で感謝を届け、組んで3年になる水梨順子キャディには「今日もこの暑さ。いつもすごく大変と思うのに、順子さんが疲れたと言うのを聞いたことがない」。
担いでくれる人がいなくて困っていたコロナ禍の窮地から 支え続けてくれた恩人をねぎらった。
同組で出た小林と宮里に、自分が若さで勝っているとは思わない。
むしろ「小林さんは3勝、優作さんは8勝。僕よりずっと強くて尊敬する選手」。
ただ今回の勝敗を分けたのは「気持ちかもしれない」と、推察する。
「お2人とも今年はまだ確定されてないと思うので・・・」。
上位65人しか枠がないシード権の重圧は、ヨンハンにも嫌ほど覚えがある。
終盤まで引きずった昨季、「こんなレベルじゃやめたほうがいい」とまで思い詰めた時期もあったが、昨末から同い年のプロ仲間でコーチのイ・ジョンウさんと始めたスイング改造が奏功。
2位に敗れた今年6月の日本タイトル戦「BMW 日本ゴルフツアー選手権 森ビルカップ」では、勝つためのゴルフを7つも下の金谷拓実から学んだ。
「一緒に最終組で回って、僕はあのとき自分が勝てる、と思ったんです。金谷選手のショットはよく曲がって、ミスも多かった。でも、彼はどこからでもよくパーを拾った。完璧だから勝てるんじゃないんです。まだ若いけど本当に凄い選手と思った」と、日本の若者から勝負強さを盗めたのは大きかった。
今年50回目を迎えた本大会は、いつも以上にリラックスして臨めた。
「ティアップで自分が決めた歌が出るじゃないですか。あれでほんとに緊張がなくなります」。
ヨンハンが、自身の選手紹介曲として選んだ「JUICE(ジュース)」は、世界的KーPOPグループ「SHINee(シャイニー)」の楽曲で、メンバーのミンホさんのご推奨だ。
ゴルフ好きのミンホさんは、ファンミーティングのためちょうど来日中で、昨晩も電話で「ヨンハン、チャンスだよ。明日は絶対に君が勝てる」。
親友の励ましも力に変えた。
2021年に2年の兵役から戻ったが、コロナで世界は一変。
渡航制限で戦い場の選択を迫られたが、留まる決断をしたのは「日本ツアーが好き。JGTOで頑張りたい」との思いから。
折しも韓国ツアーは軒並み規模を拡大したため、一時期は一季30人以上いた韓国勢が、今季はヨンハンを含めて4人にとどまる。
「早く戻っておいで」と、今でもよく仲間から声がかかる。
2週後に控えた韓日亜の「Shinhan Donghae Open」は所属先・新韓銀行主催のホスト試合だ。
「もちろん、勝って韓国ツアーのシードも獲りたい気持ちもあります。でも、僕はJGTO選手。まだまだ日本で4勝、5勝したい。日本のメジャーも勝ちたいんです」。
兵役中も、日本ツアー復帰のために、ひらがなとカタカナを猛勉強した親日家。
「お店で写真がないと頼めないから。今はメニューも読めます!」。
好物は「ひつまぶし」だ。
最終日のスタートでKBC九州朝日放送のアナウンサーさんに「笑顔の可愛さと、表情からにじみ出るいい人オーラは韓流スターのよう。プロ仲間みんなから愛されています」などと選手紹介された。
「めっちゃ恥ずかしい・・・」と照れたが、最後18番に駆けつけた大勢の日本ツアーの仲間が、信憑性をもの語る。
「いつもお父さん、お母さんから悪いことは絶対にしないように教えられてきた」という。
「もちろん、ゴルフでいっぱい勝ちたいけど、周りの選手から見て上手い選手、マナーのいい選手、勉強になると思ってもらえる選手になりたいです」と、目標を語った。
優勝会見ではマネージャーさんが携帯電話の向こうで“リモート通訳”として控えていたが、ついに一度も登場することはなかった。