現地時間の朝8時にシャルル・ド・ゴール空港を発ち、フランクフルトを経由して、羽田→岡山・桃太郎空港へ。
「アップグレードもしましたよ!」と、優勝インタビューでも話していたとおりにビジネスクラスで悠々と、お昼すぎに到着し、すぐその足で、国際免許の更新など各種手続きへ。
実家にゆっくり座る間もなく、夕方には母校・作陽高校時代から馴染みのゴルフ練習場へ。
「僕の知らない間にセッティングされていて。びっくりしましたw」と、きゅうきょ地元メディアの取材を受けるなど反響の大きさに「ああ、本当に優勝できたんだなあって・・・。実感がわいてきました」と、噛みしめる。
スマホには、何百通と祝福のメッセージが溢れた。
「なんとか全部お返ししたいとは思うんですがなかなか難しくて・・・。まだお返しきれていない方、本当にごめんなさい!」と、この場を借りてお詫び。
「たくさんの方にお祝いしていただいて本当に嬉しいです」と、感謝を添えた。
現地では、川村昌弘や星野陸也ら共に闘う先輩たちから祝福を受けた。
特に川村は、参戦当初から「コースのことから何から」相談に乗ってもらった恩人だ。
「本当に、川村さんのおかげで優勝できたと思っています」と、何度礼を言っても言い足りない。
プロ転向前から久常が、欧州ツアーに憧れていたのも川村の影響だ。
2019年から転戦を開始した川村が、大手ゴルフネットメディアで始めた旅連載「いま僕はココにいます」を毎回、欠かさず読み込み、「きっと大変なこともたくさんあったと思うのですが、それを楽しく笑いに変えて語っておられて。こんな面白いなら僕も行ってみたい」と、憧憬を深めた。
プロ転向直前には川村と初ラウンドする機会もあり、「川村さんを追いかけて僕も」と、昨年11月に予選会に挑戦し、みごとにクリア。
ルーキーシーズン24戦目の快挙だった。
一昨年のABEMAツアーで3勝し、当該資格で初のレギュラー出場権を獲得。出場わずか7試合で初シード入りを果たしたが、日本ツアーでは未勝利だ。
「自分でもちょっと不思議な感覚はありますが、どのツアーでも勝つのは大変だと思うので。たまたま僕はヨーロッパになりましたが、どこで勝っても優勝は凄く嬉しいと思いますし、本当にラッキーでした」。
大会後にいったん帰国することは、当初から決めていたスケジュールだそうだ。
「今回は約1ヶ月半。正直、ちょっとしんどかったですし、いったん帰って充電しよう、と。これが終われば帰れるという気持ちがいい結果につながったのはあると思います」と、心境を明かす。
しばらくゆっくり・・・といっても、何かと引っ張りだこになるとは思うが、「時間を見つけてサウナとか、行きつけの銭湯にも浸かりたい。今日の晩ゴハンは肉じゃがです」と、お母さんの手料理も楽しみだ。
このあと、10月12日ー15日の「日本オープン(大阪・茨木カンツリー倶楽部)」で今季の国内3戦目を戦い、また旅に出る。
ポイントランキングは11位に浮上。
トップ10に入れば来季PGAツアーの出場資格が得られる。
V後にすぐ連絡をくれた松山に言われた。
「アメリカで待ってるよ」。
高ぶる気持ちと共に、改めて募る感謝。
「偉大な先輩方が、道を切り拓いてきてくださったからこそ、僕らも頑張って追いかけていける。本当にありがたいと思います」。
思い切って日本を飛び出して、もうすぐ1年。
優勝インタビューも堂々、英語でこなした。
「まだまだ全然。恥ずかしいです」と照れたが、出発前はほとんど分からなかった相手の会話もすっかり耳慣れ、不自由も次第に減ってきた。
まだまだ成長途上の21歳。
今度はまたどんなビッグニュースを届けてくれるか。
楽しみだ。