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日本オープンゴルフ選手権 2024

「日本オープン、と言えば東京ゴルフ倶楽部のジャンボさん」今も際立つ尾崎の存在感

主催のJGAが創立100周年を迎えた今年、会場に選定されたのは開場112年を迎えた東京ゴルフ倶楽部。
大正2年の1913年に創設され、東京・駒沢から埼玉・朝霞に移転し、今の同・狭山に至る。

駒沢、朝霞も含めて「日本オープン」の開催は、今年で8回目。
大会2回目を制した浅見緑蔵(1928年)氏をかわきりに、宮本留吉(1935年、1940年)、林由郎(1954年)、杉本英世(1964年)、尾崎将司(1988年)、手嶋多一(2001年)と、6人の名だたるチャンピオンを輩出。

どれも歴史に残る名勝負だが、その中でも際立つのが1988年の尾崎の存在感だ。



SNS世代の若い選手に聞いても、「日本オープン」といえば、「東京ゴルフ倶楽部のジャンボさん」と、返ってくる。

最終的にV争いに残ったAON=青木功と、尾崎と、中嶋常幸が繰り広げた死闘は今も語り継がれる。

とりわけ、17番で10メートルを沈めて抜け出し、最後18番ではわずか70センチのバーディパットにしびれて2度も仕切り直す尾崎の姿は、映像を通しても勝つことの真の厳しさと喜びを、如実に伝えてくれる。

また、Vシーンだけではない。
プロたるもの、を当時10歳の石川遼に尾崎が背中で見せたのも、ここ東京ゴルフ倶楽部だった。

前回開催の2001年。
お父さんの勝美さんと地元松伏町から観戦に来た“遼くん”は、大観衆の中心で放つ尾崎のショットの迫力に魅せられ、ひょんなことからサインをしてもらえたという帽子は「酸化しないように」と、今も何重にもビニール袋に巻かれて大事に保管されている。

「ジャンボさんの組はどこにいてもとんでもない人の数で大歓声が起きたり、足音だったり、砂埃とか。雰囲気や空気に衝撃を受けたことを、今もはっきりと覚えています」(石川)。

その後、“遼くん”は当時、人気を博した“ジャンボヘアー”を真似して、しばらく襟足を切らず、さらに5年後には、自身も史上最年少ツアーVという、とんでもない偉業をやってのけるのだ。

今年は、自身を“遼くん世代”と呼ぶ平田憲聖(ひらた・けんせい)が、現在賞金1位を走る。
33歳になった石川は、昨年大会(大阪・茨木CC)で岩﨑亜久竜(いわさき・あぐり)に2打差で敗れて涙をこぼした雪辱に挑む。

尾崎が強烈なインパクトを残した東京ゴルフ倶楽部で、今年も歴史と感動が引き継がれていく。


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