「番手を迷っていて。8Iでいこうと思ったら、吉岡さんに7Iじゃないって言われて。持ち替えた結果ホールインワンが生まれた。僕は何にもしていない」と、キャディさんに感謝。
その前の11番パー3では、ダブルボギーを打ち、前半2番と8番のパー3では、パーオンに失敗していた。
「僕はドローヒッターなんですが、4ホールとも右からの風なんで苦手意識がある。3つともグリーンを外して、ショートホールが乗んないな…と、思っていたら最後、直接入るというw」。
前半の7番では4連続バーディを記録するなどにぎやかなスコアカードで5アンダーの「67」をマーク。
9位タイでの滑り出しに「今年春からレギュラーツアーに参戦させてもらって。自分なりに上手くできてきたのかな、と思ったらもう1年終わり」と、苦笑した。
ホールインワンは、試合では自身2回目。
アマ時代の17歳と60日目に達成した前回の2012年「キヤノンオープン(4R)」は、当時の最年少記録だった。
ほかにも、小学6年時の「PAR72チャレンジカップ」で当時のABEMAツアー最年少出場記録を作り、2009年の「VanaH杯KBCオーガスタ」では14歳21日のツアー最年少予選通過記録を樹立。
杉並学院高校在学中の2012年に17歳でプロ転向し、翌13年の「PGA・JGTOチャレンジカップin房総」では、ABEMAツアー最年少記録の18歳29日で優勝も飾った。
年少記録をほしいままにし、「まあ行けるだろうと。けど、甘くなかった。足らないことが多すぎて、それを補って早々と12年経ってしまった」と、ABEMAツアーの賞金ランク5位でつかんだ今季がやっと自身初のフル参戦だ。
「レギュラーツアーに出ている人は、すごいうまいんだろうと。自分にも高望みしすぎちゃった」と、予選敗退ばかりが目立つ序盤を反省する。
「でも、上でやっている人は、1個のことを突き詰めている。練習など見ていて思ったので。僕もひとつのことをやり続けてからはちょっといいのかな」と、つかみかけたがもう、自身の今季最終戦だ。
現在の賞金ランキングは、上位65人のシードにまだまだ足りない80位。
「僕の位置では正直、ワンチャンスくらい。来週からQTがあるので。ここからどういう状態で臨めるか、日々考えながら高知入りしてきた」と、心境を明かす。
予選ラウンドで同組になったアマチュアの中曽根多朗さんを見ながら「楽しそう。自分も昔はそうだった」と、懐かしむ。
「この5、6年は眉間にしわを寄せながら。しかめっ面でやってきたのが多かった」と、省みる。
「16歳くらいの頃からパター外したら、死んじゃうくらいの気持ちでやってきたけど。今は命とられるわけじゃないわ、と。そう思えるようになってから、しっかり体も動くようになってきた」と、呪縛も解かれた。
天才少年と呼ばれた10代の頃。
「周りからも、いろいろと言われましたけど、もう昔のこと。そんなこともありましたねという心境」と、達観している。
29歳。
「ほかの同級生よりは、このフィールドに多くいさせてもらって。そういうところで落ち着いている部分、おっさんくさいところもある」と、自分を笑った。
「20代最後の年。良いも悪いも経験し、メンタルも何もかも、プロゴルファーになってきたな、という感じ」。
シード権争いの試合で、元最年少が悟りを開きつつある。