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NST新潟オープンゴルフ選手権競技 2001
「スィング中に、曲芸みたいなことやってたんです」
ようやく、本来の才能を開花させた
気になる選手のスィング写真は、知り合いのカメラマンに頼み込んで、すぐに取り寄せた。
世界的に有名なレッスンコーチ、デビッド・レッドベターの連載をすべてコピーして保存し、暗記できるほど読み尽くしたこともあった。
無類の研究熱心さ。
だが、それがかえって桧垣の溢れんばかりの才能を、長い間、封じ込めていた原因だったかもしれない。
たった3秒足らずのショットの間に、桧垣の脳裏には、3つ以上ものチェック項目が、よぎることもあった。
「ここでああして、こうして、こう打つ・・・なんて、スィング中に、まるで曲芸みたいなこと、やってたんです」
考えすぎて、ショットが機械的になっていった。迷路にはまり込み、一時は、ノイローゼ気味になったこともある。
「形にこだわりすぎたために、怖くて、振れなくなった時期もありましたね。試合のときは、何も考えずに振り切ればいいだけやのに…。ほんまアホですよねえ(苦笑)」
それが最近、一緒に練習ラウンドをさせてもらうようになった谷口徹や、兄・繁正の助言のおかげで、解消されつつあった。
スィングの瞬間は何も考えず、リラックスして、大きくゆったりと振る。飛距離はどん底のときと比べると、50ヤードは伸びて、スィングリズムも、ジュニア時代から絶賛されていた、本来の良さを取り戻しつつあった。
また、これも谷口の勧めで、最近は、練習ラウンド時から、ショット前のルーティンを以下のように決め、実践していた。
1.グリップを柔らかく握り、
2.球筋をイメージして素振りをし、
3.ワッグルを2回、
4.そして打つ
これを最終日には、特に意識して、やり通した。
「練習ラウンドのときできないことが、優勝争いで実践できるわけがない…それが谷口さんの持論でした。ルーティンを決めたことで、最終日は、かなり落ち着いてプレーできたと思います」
元々の才能が、開花する時期は熟していた。
通算24アンダー、2位と6打差のぶっちぎりでツアー初V。2年シードを手に入れて、「なんだか実感が湧かない。自分で自分が、信じられない」と桧垣は言ったが、ジュニア時代から、地元・関西で高く評価されていた桧垣豪の出発点としては、遅すぎたくらいだろう。