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アサヒ緑健よみうり・麻生飯塚メモリアルオープン 2005

矢野東2つ上の兄・勅仁さんとつかんだ初優勝

2001年にチャレンジツアーで2勝をあげて、翌年前半期の出場権を手に入れると、2002年に初シード入り。
そのあと幾度か優勝争いに絡みながらも、昨シーズンには終盤までシード権の確保を引っ張った。
苦しい時期も、そのかたわらにはいつも芯から支えてくれる心強い存在があった。

専属キャディで兄の勅仁(まさひと)さん。

2001年に初めてタッグを組んだときは、「1年だけ担ぐ」という約束だった。
それがいつしか2年になり、3年になり・・・。「そのうち東が初優勝をあげるまで、になった」(勅仁さん)。

2歳上にもかかわらず、コースではプロゴルファー・矢野東の“黒子”に徹する。
行き帰りの車の運転はもちろん、朝の食事はいつも矢野より先に席を立ち、スタート前の準備をする勅仁さんの姿がある。

プレー中は、弟のストレスやプレッシャーを全身で受け止めながら、黙々と隣を歩く。
弟が打ったバンカーの砂も丹念にならし、ホールアウト後は1本1本、丹精こめてクラブを拭き上げる。

数年前に、経営していた飲食店もたたんでしまった。
かわりにマネージメント事務所を立ち上げて、弟のマネージャー業務を兼任。
常に影となり、全力を出し切れるよう心を砕き、その瞬間を待ち続けた。

2人共通の夢がかなったとき、やはり支えになってくれたのは勅仁さんだった。

「ゴルフは孤独なスポーツ。それでも、プレッシャーで心細いとき、隣に兄貴がいてくれることで今日もどんなに心強かったか」(矢野)。

矢野が最後のパーパットを決めたあとはまだゲームの決着がついていなかったこともあり、2人でゆっくり話す暇もなかった。
ようやく兄弟が言葉らしい言葉を交わしたのは、すっかりひと気も消えたクラブハウスだった。

矢野が、心底ホっとした笑顔を浮かべて言った。
「ほんとうにやっちゃったんだな」。
勅仁さんが返した。
「ほんとうに、やっちゃったんだよ」。
矢野が、まじまじと勅仁さんの顔を見つめて言う。
「ほんとうに、優勝したんだな、俺たち」。
「そうだよ。これから最終戦まで全部、出られる。フェニックスも、日本シリーズも」。
「・・・スゲエな」。
「・・・スゲエよ」。

弟のバッグを担ぐのは「初優勝まで」という期限つきだった。
「・・・でも本当に勝っちゃったら、今度は“もっともっと勝つまで”という気持ちになっちゃいましたよ」。
そう言って、勅仁さんは笑った。




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