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ダンロップフェニックストーナメント 2005

田中秀道が6位タイ発進

インスタートの12番、14番でボギーが先行していきなり暗雲。「久しぶりの日本で、良いところを見せたいと緊張していたせいもある」。

風邪をこじらせ、ラウンド中も立て続けに出る咳も影響していた。

「10回も20回も連続してすると、さすがに腹筋が張ってしまって・・・」。

パッティングのアドレスで、前かがみになったとき、特に違和感があったのだ。
「でも、風邪のせいにはしたくない。2オーバーから踏ん張る姿を、見てもらいたかったから・・・」。

次の15番から、気力を振り絞った。
フェアウェーから右のカラーに乗せた15メートルのバーディパットを、1.5メートルオーバーさせて、「このホールが、今日ひとつの大きなポイントになる」。
執念でねじこんだパーパットが、16番からの4バーディにつながった。

今年、4年連続の米ツアーのシード権は、終盤を迎えほとんど諦めていた。
「もうあとはQスクール、それがダメなら日本で一からやり直し」。覚悟を決めてのぞんだ残り4戦で、2度のトップ10入りを果たし「2週間で、1年間分にあたる賞金を稼いできた」と、苦笑する。

9月のテキサスオープン初日、17番でホールインワンを達成するなど見せ場もあったが「今年、ほとんど良いメッセージを日本に送れていなかったから」。

急きょ出場を決めたこの大会を「今年の集大成にしたい」と、強い決意でのぞんでいるだけに、出だしで躓いたままではおれなかったのだ。

「ヒデミチ〜!!」。

久しぶりに従えた大ギャラリーに、日本語で声援を送ってもらったことも力になった。
「・・・アメリカでは、“どこのジュニアが紛れ込んできたの?”という感じで、みんな冷たいもんですからね」。
2003年のこの大会以来、2年ぶりの日本ツアーで、生き生きと戦っている。


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