記事
つるやオープン 2007
宮瀬博文が単独首位スタート
賞金ランクで自己最高の9位に入り、その勢いで米ツアーにも初参戦。
しかし、その翌年には傷心の帰国をした。
ハイスコアの戦いに、ついていけなかった。スウィングをすっかり壊して帰ってきた。
その後遺症は、何年も続いた。
「・・・アメリカに行かなければ良かった」と、心底後悔したのは昨年末だった。
1992年に、史上最年少で初シード入りしたのが21歳だった。
昨年、韓国のドンファンが、19歳で宮瀬の記録を塗り替えた。
「若い子たちが出てくるのは良いこと」とはいえど、よりによってその年に、賞金ランク94位にとどまって、14年間守ってきたシード権を失うとは…。
ツアーの出場優先順位を決めるファイナルQTも振るわず、ランクは49位。
この順位では、出番が限られてしまう。
当然、先週の開幕戦も出場権がなかった。
今週はかろうじて、過去5年の優勝者の資格に引っかかった。
36歳にして味わうこの屈辱。
当初は「本当に悔しくてたまらなかった」。
でもいまは、それも現実として、正面から受け止められるようになった。
「アメリカに行ったことも良い経験だったんだ、とやっと思えるようになった」。
どん底まで落ちたことで、吹っ切れた。
「いまは我慢が必要だと自然と考えられるようになった」という。
シード権を争っていたころは、意味もなく焦っていた。
たとえば、3つバーディを取ったあと。
「つい、余計なことを考えてしまう」。
残りホールのスコアを計算して、集中力を失ったものだが、「良いスコアが出るときは、1打1打の積み重ね」。
調子が良いときは、頭の中から、過去も未来も消えている。
「だから、いま目の前のことに集中できる」と、改めて痛感している。
復活をかけた今季は、「焦らずに、ひとつひとつ大事に行こう」と決めた。
途端にラッキーも舞い込んだ。
この日の16番。7メートルのバーディパットは、同組の加瀬秀樹のマークに当たって、右に跳ねてカップイン。
後半の7番パー4では、左バンカー淵のディボット跡に入った残り130ヤードの第2打がチップインイーグルだ。
初戦での好発進に今年、目標に掲げた「復活」に期待が高まるが、いきなり今週で結果を出そう、とは思っていない。
「…そのためのステップになれば」。
真摯な気持ちで、思い出のコースと向き合っている。