記事
アコムインターナショナル 2000
昨年は左膝の故障に耐えながらの優勝
99年アコムインターナショナル、最終日―。
2位の深堀に2打差まで詰められていた9番、429ヤードのパー4。田中のティショットの直前にギャラリーがカメラのフラッシュをたいた。
「フラッシュで、打つ前に目がちかちかしていたんです。それで、というわけではないけれど、ティショットを左バンカーに入れてしまいました。
でも、ここで(ピンに)ひっつければ、流れがくる、と思った。それがきょうの試練だと思って…」(田中)。
残り172ヤードのバンカーショット。これを7番アイアンで、ピン手前7メートルにつけた。
「プレッシャーのかかった精神状態の中で、ビビリながらもこのパットを良く入れたと思う」。
11番、12番でも連続バーディ。共に2メートル前後の、プレッシャーのかかるパットを沈めて「取るべきホールで取れた。この3つのホールのプレーは、おじいちゃんも誉めてくれるのではないでしょうか」と頬を紅潮させた。
スタートするときにあった3打差にも、余裕など持てなかった。「このコースでは、8打差をつけていても緊張すると思う。5打差以下なら、何が起きるかわからない。ここは17番ホールが終わったときに、3打以上つけていて、はじめて安心できるようなコース」
4打差で迎えた17番、184ヤードのパー3。
ピンまで17メートルのバーディパットを沈めて、通算20アンダーにした瞬間、思わず田中は、うずくまって祈りを捧げるポーズを取っていた。
このとき、勝利を確信した田中は、天国の「おじいちゃん」、巽さんに11ヶ月ぶりの優勝報告をしたのだろうか。
ヒザの故障に悩み、苦しんだ末に勝ち取った、価値あるツアー6勝目だった。
昨年の田中秀道の優勝インタビュー
「後半は、プレッシャーの中のプレーだった。(左ヒザを痛めて)3ヶ月、本当に苦しかった。試合に出れない日々が続き、試合に出ても、後ろから数えたほうが早い順位ばかり。ずっと苦しかった。でも、この優勝でケガも完治したということを示すことができた。今回の優勝は、きっとこれからのボクの自信となると思います。
きょうは亡くなったおじいちゃん(巽さん)が見守っていてくれたと思います。おじいちゃんは、すごく厳格な人で、いつも叱られてばっかりだったけど、いつもボクを見守ってくれた。そのおじいちゃんが、今年3月に亡くなりました。
だから、おじいちゃんのためにも、早く勝ちたかった。
もしまだ、おじいちゃんが生きていたとしたら、きっときょうの9番、11番、1番ホールのプレーを誉めてくれたろうな」