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アコムインターナショナル 2000
『アコムインターナショナル』は、選手を世界の舞台へと導く
98年のチャンピオン・横尾要は、この大会で初優勝を果たし、翌年の全米オープンで初日5位に入る健闘を見せた。リーダーボードに、「YOKOO」の名を見つけたギャラリーは、「ヨクウ? ヨクウって誰だ?」とざわめき、横尾の切れ味鋭いショットを絶賛した。
横尾は言っている。
「アコムインターナショナルでの初優勝が、世界へ挑戦する上で自信になったことは間違いないと思います」。
この大会から、世界へと活躍の場を広げていったのは、実は横尾に限ったことではない。
99年の全英オープンで悲劇のヒーローとなったジャン・バン・デ・べルデ。
18番ホールの池ポチャは、いまだ人々の記憶に残っているが、若き日の彼も、90年
(この年はそれまでのダブルス競技からポイント制に変わった年で、名称を「アコムP.T」といった)
から92年のこの大会に出場している。当時のバンデベルデは、まったくの無名選手だったが、ポイント制度を利用して積極的に攻め、3位入賞を果したことがある。
94年のこの大会に出場したのは、現在、ヨーロピアンツアーの若手実力派のリーウェスト・ウッドだ。このときは、予選落ちだったが、その2年後の95年に再び来日。住友VISA太平洋マスターズで勝ち星を挙げると、そのあとの2年間も同大会で連覇を果している。
昨年、不慮の事故でこの世を去ったペイン・スチュワートは96年のこの大会で3位に入る活躍を見せた。
おりしも、スチュワートは不振にあえぎ、苦悩の毎日を送っていたころだった。
「アコムで攻めるゴルフの楽しさを再認識した」と話した彼は、この大会で復活の糸口を見出したのだ。訃報は、今年の全米オープンでメジャー初制覇を飾るまでになった矢先のできごとだった。
今大会94年のチャンピオン、尾崎直道も例外ではない。
この年は、尾崎が米ツアー参戦を表明し、米国転戦を始めた年だ。
一時帰国して、当時8月に開催されていたこの大会に出場すると、米国仕込みの積極ゴルフで押しまくり、Vをさらった。
尾崎のだたひとりの弟子といわれる細川和彦は、96年のサンコーグランドサマーでツアー勝したあと、すぐ翌週のこの大会で2週連続Vを遂げた。
細川は、今年6月のケンパーオープンで2位につけ、その資格で今年から、準会員として米ツアーに本格参戦している。
そして、昨年度チャンピオンの田中秀道。
田中は、先の米ツアー『エアカナダ』で、自己最高の22位に入り、また、今年12月のワールドカップ、丸山茂樹とチームを組んでの出場がすでに決まっている。
次々と、歴代チャンピオンを世界へと運ぶ『アコムインターナショナル』。
今年、この大会から世界へと羽根を広げる選手はいったい、誰だろう。
その答えは、今週の日曜日に―。