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Philip Morris Championship 1999
川岸良兼が、95年JCBクラシック仙台以来、4年半ぶりに優勝
1990年のルーキーイヤーに出場した今大会(当時大会名称ラークカップ)は、18番で6メートルのイーグルパットにトライした。あのころは、怖いものなど何もなかった。プレッシャーなど、感じることもなかった。最後はバーディであがり、ジャンボを2打下して勝った。
「きょうの18番は、『あのときのイメージを思い出して豪快に振っちゃえ』、と思って打ったのですが…」ティショットは左へ曲がり、つま先下がりのラフへ。さらに、「スライスさせて乗せるつもりだった」グリーンエッジまで220ヤードの第2打はを左の速報ボード下の観客席に打ちこんだ。
「『豪快に打って、歴史に残る飛距離を出してやれ〜』と思ったけど失敗しました。力が入って手先で打っちゃった。厳しいもんです(笑)」
リカバリーショットは最初、サンドウエッジを持ったが「下が固かった。バンスのあるクラブで打つとヘッドが跳ね返されてしまう」と、ピッチングサンドに持ち替えた。
ピンまで6メートルに3オン。
そして、2打差で追う桑原克典の第3打を待った。グリーン奥から、ピンまで約10 メートルのアプローチ。サンドウエッジで打った球は、あわやカップイン。
「入ってたらプレーオフだった。桑には最後まで苦しめられたよ」(川岸)
川岸のバーディパットは、カップに届かなかったが、18番をパーで切りぬけ、2位に1打差の通算18アンダー。4年半ぶりの勝利を手にした。
「きょうはいままでのどの優勝より1番嬉しい。きょうはプレーの間中、早く終わらないかな、と思っていた。つらかった。本当に苦しかった。勝つことって、こんなに難しいものなのかって思った。やっと1日が終わったという感じ。
この大会が始まる前、(師とあおぐ)ジャンボさんに、『そろそろやる気なのか』って聞かれたんです。『ハイ、やる気です』って応えておいたんですが、なんとかいい報告をしないといけないし、ヘタなゴルフはできないと思っていました。ジャンボさんは予選落ちしてしまったけど、本当はまだ残っていて、後ろから抜かれるかもしれないんだ、という気持ちでプレーしていました。
きょうはトップでスタートしていったわけですが、守るのはこんなに難しいものなのかって思いました。追いかけていって、逆転したほうが気楽じゃん、って、つくづく思った。途中から、つらかった。14番で4メートルのいいパットを入れて、桑が同じくらいのをはずして、それで勝てるかな、と思ったんだけど。そこから守って、フェアウェーをキープしていくのは、ほんとうに難しいと思った。ふと、本当に勝てるかなって、思いましたよ。そう思うからよけいだめなんだってわかっているんだけど…。デビューしたころは、こんな守りに入ったことなんか、なかったのにね。最後まで、桑にはいじめられたよ(笑)
最近は、ボクより若い人達が次々勝って、悔しかったけど、これからボクも負けない。まだまだやれると思っています。
今後とも応援のほど、よろしくお願いします」