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フジサンケイクラシック 2001
タナボタで手に入れたかにも見えるツアー6勝目
「勝てるなんて、最後まで、本当に思えなかったよ」と口では言うが、首位と7打差で迎えた最終日、1番ティに現れたミノザの帽子は、鮮やかなイエローだった。
黄色は、故郷・フィリピンのナショナルカラー。
大統領の次ぐ同国の英雄として、国民に愛されているミノザにとって、黄色は、最高に縁起の良い色。と同時に、自らの闘争意欲を掻き立ててくれる色なのだ。
彼を良く知る友人は言う。
「ミノザは、勝負をかけた特別の日だけ、黄色の帽子を被るんです。
今日、その帽子を選んで被っていたということは、何か思うところがあったのは」
7打差の大逆転も、ひょっとすると、計算ずくだったのかもしれない。
難所の17番、ラスト18番と、続けざまのピンチもパーで切り抜け、ミノザが通算8アンダーでホールアウトしたとき、渡辺、林の最終組は、ちょうど15番ホールを終えたところだった。スコア提出を終えると、あとは、待つだけ。
提出所のテレビモニターで、じっと、ゲームの行方を見つめるミノザ。
「16番で、2人ともボギーにしたでしょう? あれはびっくりしたな・・・まさかって思った。そのあと、さらに林さんが、17番でボギー。18番で林さんがバーディを取るのは至難の技だから、あとは渡辺さんとのプレーオフだな・・・って、最後まで疑わなかったよ」
最終組が、打ち上げの18番にやってくると、ミノザはモニターから目を離して椅子から立ち上がった。
スコア提出所の小屋は、ティグラウンドを見下ろすかっこうで、18番ホールの頂上にある。
その窓に、鼻がくっつかんばかりに顔を近づ けて、ミノザは、その目で、最後の瞬間を見届けた。
フェアウェーど真ん中からの林の第2打は、グリーン奥のバンカーへ。林の最後のチャンスは、その時点で消えた。
続く、渡辺のラフからの第2打も、同じく奥のバンカーへに飛び込んだ。
さらに、バンカーからのアプローチは、ピンまで7メートル。
長いパーパットが、観衆のため息とともにカップの手前で止まったのを確認すると、ミノザの顔から、ようやく笑みがこぼれた。
3月のダイドードリンコ静岡オープンでは、9打差を追いついたものの、プレーオフでわずか20センチほどのパーパットをはずして敗れた。
「ゴルフは、負けることもあれば、今日のように勝てることもある・・・それだけのことさ」とサバサバと言うが、あのときの悔しさが、この日ミノザの原動力であったことは間違いないだろう。
日本ツアー参戦11年目。
「日本は大好きさ。これからもずっとこの日本で、戦いつづけたいよ」と話すミノザ。しばらく低迷が続いたが、今季は再び台風の目になるかもしれない。