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バナH杯KBCオーガスタ 2008

甲斐慎太郎が涙のツアー初優勝

首位でスタートした最終日は、1番で2メートルのチャンスを外すなど、パッティングが決まらない。
「首位で出て守ることと、攻めることの難しさ。せっかくついたチャンスも取れなくて・・・。自分の体じゃないみたい。意志と体が一緒になっていなかった」。
つらく苦しい戦いに、「今日は1日が長くて長くて、長くて・・・」。

それはそのまま、これまでのゴルフ人生の道のりと重なった。

日体大4年時に「日本アマ」と「日本学生」を制し、2004年に鳴り物入りでプロ転向を果たしながら、出場権すらままならない年が続いた。
昨年までの生涯獲得賞金は、わずか790万9741円。
結婚2年目。
「今年ダメなら諦めよう」。
背水の陣で臨んだ、まさに勝負の年だった。

眠れる大器が目覚めたのは9番パー5だ。それまでじっとパープレーを続けていた甲斐の目に、スコアボードが目にとまる。
宮里優作が1打差の首位に立っていた。
「抜かれている」と知って、逆に気持ちが楽になった。
追う立場になって「もう俺はこれ以上、苦しまなくてもいいんだ」と思えた。
6メートルのチャンスを決めて、この日の初バーディが停滞していた流れを一気に変えた。

再び挑戦者の気持ちになって、12番、13番で連続バーディを奪い、気がつくと17番パー3で2位の星野と2打差がついていた。

ティショットはグリーンを外したが、焦らなかった。
花道からのアプローチは「セコイけど、恥ずかしいけど、でもそんなのかんけぇねぇ。自分のゴルフをしよう」。開き直ってパターを握り、安全圏に転がして、パーを拾った。

18番パー5の第2打も、躊躇なく刻んだ。
いつもなら、大胆に攻める飛ばし屋も「最後の2ホールは、絶対に守り通そうと思っていた」。
だから、ウィニングパットは「誰が打っても外さない」10センチのパーパット。
「お先に」をしようとして、矢野東に止められて、マークをして改めて、最後の1打をタップイン。
長い長い1日に、最高の形で終止符を打った。

大会の地元・福岡は「第2の故郷」だ。
沖学園高校で3年間を過ごし、ツアー初出場も3年時に挑戦した今大会だった。
思い出の地で手にしたツアー初優勝は、恩師や大勢の友人、知人の大声援が「最後のひと転がりを押してくれたと思う。力以上のゴルフができた」。

中でも、父親の稔さん。
ゴルフを始めたころは、愛の鉄拳制裁を受けたこともあるが「あまり裕福な家ではなかったのに、大学まで出してくれて・・・」。
ここまで育て上げてくれたことには、感謝してもしたりない。

まして、妻・智香さんが来月に出産を控え、自身も父親になろうという今なら、なおさらだ。

「父親というのは偉大な存在なんです。自分もそうなりたいと、今日は頑張りました」。
そう口にした途端、溢れ出た大粒の涙。
最後はもう声にならない。
それでも甲斐は、グリーンサイドで見守る稔さんの心に届くよう、精一杯に言葉を振り絞った。

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