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NST新潟オープンゴルフ選手権競技 2000
白潟英純が、2位と4打差の通算19アンダーでツアー初V!!」
歓喜にむせぶ涙も、派手なガッツポーズもなかった。
淡々と20センチのウィニングパットを沈めると、炎天下で戦ってきたとは思えない、穏やかな笑顔を浮かべた。
「嬉しいですね」そう語る表情には、戸惑いの気持ちもにじむ。
(「まさか、こんなことになるなんて…」)
前日は、たくさんの友人からウィニングボールをねだられた。
「勝てるわけないと思っていたから、全員にあげると返事してしまった」
行き先の決まらないボールは、とりあえず、キャディバッグにしまわれた。
仲間から祝福の胴上げを受け、「勝っちゃった…という感じ」照れくさそうに言った。
今季は、ファイナルQTの資格で参戦。14試合に出場し、賞金ランクは67位。
「小さいころから夢見ていた」大舞台で、いきなり頂点に立った。
2年間のシード権も得て、優勝インタビューでは「嬉しい反面、不安でもあります」と、率直な気持ちを口にした。
「嬉しい反面、不安でもあります。これで2年シードが手に入って、もっと上の世界でやっていかなくてはならなくなって…。本当に、僕がやっていけるかな、と…。
自分がシード選手としてやっていくためには、まだまだだと思っていましたから。すべての面に関してゴルフの力が足りない。全体に底上げしていかないと、と思っていましたからね。
今日も4打差つけたからといって、16番のティショットを切り抜けるまでは、まったく自信はありませんでした。スタートで、『16番でもしOBを打ったら、もう一発打ちなおしをする自信はない』と思っていましたから。ティショットを打ち終わって、フェアウェーに行ったとき、ようやく『いけそうだ』と思い、ホッとしました。
最後18番でウィニングパットを入れた瞬間は、力が抜けました。『勝っちゃった…』という感じでした。『本当にこれで勝てたのかな』とも思いました。こんなことになるなんて…という気持ちでした。
これからも、シード選手になったからといって変な意識はしないで、今までどおりゴルフに取組んでいけたらいいな、と思います。
今日の日の感激を胸に秘めて、一生懸命頑張っていきたいと思っています」
★ 白潟英純
1966年9月6日生まれ、福岡県出身。
1980年の全米オープン(バルタスロールGC)、当時中学生だった白潟は、ジャック・ニクラウスと青木功のV争いをテレビで観戦、ゴルフに興味を抱く。
地元・八幡南高校時代に初めてクラブを握ったときはゴルフはあくまで遊びの一部。
九州産業大学入学後にゴルフ部に入部して、本格的に取組み、九州学生ゴルフ選手権で優勝するなど、当時の九州では無敵の存在だったという。
92年にプロテスト合格。その後、活躍の場を求めアジアのツアーに参戦。96年のインドオープンで優勝している。
同年代のプレーヤーは、川岸良兼や鈴木亨。現在、同じミズノに所属する彼らは、白潟にとって、「昔から別格の存在だった」というが、やはり内心は、1歩も2歩も先んじる川岸らの活躍に焦りもあったようだ。