記事

日本プロゴルフ選手権 2007

伊澤利光が75代目のプロ日本一に

誰もが、宮里優作の初優勝を願っていることは知っていた。史上初、沖縄県で行われた今大会。地元期待の選手が勝ったほうが、盛り上がるに決まっている。そんなことは、伊澤にも分かっていた。
分かっていても、絶対に負けるわけにはいかなかった。

「僕だって、勝とうと思ってこのオフを過ごしてきたから」。

完璧主義だ。何の根拠もなしに、勝つのは好きじゃない。納得しないまま優勝しても、嬉しくはない。だから2005年のアンダーアーマーKBCオーガスタで、ツアー通算15勝目をあげたものの喜びは薄かった。
当時から、すでに兆候は出ていたのだ。
深刻なスランプの兆し。

周囲には、「良い球が打てている」と言われても、自分自身はごまかせない。
「これまでと、何かが違う・・・」。
違和感を抱いた状態で、勝利の余韻にひたることは出来なかった。

本格化したのは、昨年だった。
どんなに必死に練習しても、思うような成果が出ない。
シーズン途中の異例のクラブ契約解除が、悩みの深さを物語っていた。
解決策を道具に求め、「毎日のようにシャフトを替えたり、ロフトを替えたり・・・」。
答えが出ないまま、日は過ぎた。
「俺はもうだめなんだ、と思ったり、何もかも嫌になったり・・・」。
どんなに努力を重ねても、報われない現実が何より堪えた。
いよいよ賞金ランキングによるシード権を失った。

「今思えば、変え時だった」と、振り返る。
40歳を目前に控え、20代と同じようなスイングでは通用しない。
ツアーきってのスインガーともてはやされたが、「見栄えが良くても、結果が出ないんじゃしょうがない」。
年齢にあったスイングチェンジが必要だと気がついた。
このオフは復活をかけて、これまで以上に練習やトレーニングに時間を割いて取り組んできた。

確かな手ごたえをつかんで、2007年を迎えた。
開幕から4戦目の復活優勝。
最後は、経験がモノを言った。
一時4打差つけながら、15番で2メートルのパーパットを外して、広田悟に1打差まで詰め寄られた。
最終18番は、奥からグリーンをオーバーさせて、返しのアプローチも寄せ切れなかった。
3メートルのパーパットを外した。
広田が1.5メートルのバーディパットを外して辛くも逃げ切ったものの「カッコよくなかった」と苦笑した。
最後は「バタバタ」だった。「もし、これが初優勝なら負けていたと思う」。

それでも、不利な条件から再び勝ちパターンに持ち込むことができたのは「経験の差」。
勝利を呼び込むきっかけは、直前の17番パー3だった。
奥カラーから6メートルの下りフックをねじ込んで、再び2打差にして最終ホールを迎えた。
「今週のショットならば、チャンスはある。あとは、これまで何度も経験してきたことをやればいい、と」。
昨年1年間、加齢による体や心の変化に悩んできたが、「それにも利点はある、と」。

約1年半ぶりのツアー通算16勝目に、もう迷いはない。
「やってきたことが、無駄ではなかったと証明できた」と、伊澤は言った。

ウィニングパットを決めて、キャディの前村直昭さんと抱き合った瞬間に少しだけウルっと来たが、涙はすぐに乾いてしまった。
泣いているヒマはない。勝利の余韻に浸っている間もなく、もう次の目標がムクムクと沸いてきた。
「今季の目標は、とりあえず1勝だった。これで一気に気持ちが盛り上がって、すぐにまた、次の2勝目が欲しくなりました」。
力強いコメントに、完全復活と言って間違いなさそうだ。

  • 大会主催の社団法人 日本プロゴルフ協会の松井功会長より受けとったプロ日本一のチャンピオンブレザー
  • 今週はのべ800人以上のボランティアの方が協力してくださいました。「本当にありがとうございました!」(伊澤)

関連記事