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サン・クロレラ クラシック 2008

冨山聡(とみやまさとし)が急浮上、6位タイ

同組で回った石川遼は「5オーバーからでも諦めないゴルフが凄い」と、冨山のプレーに尊敬のまなざし。さらに、自身は82の大たたきに「僕と一緒でなかったらもっと良かった。迷惑をかけてしまった」と、詫びを入れたがそうではない。

この日3日目は7時55分のスタートから横殴りの雨。3日間で一番の難コンディションに、ただひとりアンダーパーの70をマーク出来たのは、石川の存在があってこそだったかもしれない。

前日2日目の夕方に発表された組み合わせを見て冨山は覚悟した。
「明日は大ギャラリーなんだろうなあ」。
昨年のチャレンジトーナメント賞金ランク2位の資格で、自身初の本格参戦を果たした冨山には「初体験」の状況が、想像された。
石川目当ての大観衆に囲まれてさぞ「緊張するだろう」と踏んでいたが、それも3ホールも行けば、落ち着いた。

むしろ「気持ちが良かったんです」。
そして、先に石川がバーディパットを決めた6番で燃えた。
残り188ヤードの第2打をピンまで8メートルに乗せていた冨山は、「これで3パットにしたら格好悪い」。
先輩の意地を見せ、下りフックのイーグルパットをねじ込んだ。

どちらかというと自分はマイペース型だと思っていたが、16歳に引き出されたかっこうの好プレーに、「今まで知らなかった自分が見えちゃいました」と、笑った。

この日選んだ赤のパンツは石川を意識したわけではなく、「あとこれと、ピンクしか残ってなかったらから。明るい色を着ると気分が乗ってくる。最終日はピンクを着ます」などと実はイケイケ?!

自身2度目の出場の今大会は「とにかく難しいという印象。手堅く、ピンを狙わずセンター狙いのゴルフがうまくハマった」と守りのプレーを強調しながら、負けん気を随所に見せた。

叔父の手ほどきで、はじめてクラブを握ったのは小学生のころ。
当時、地元・茨城県で行われていたトーナメント「キリンオープン」は会場まで車で5分ということもあり、足繁く通った。
「(尾崎)直道さんに憧れた」という。

「サラリーマンにはなりたくないし」と、伊奈高校(茨城)時代にプロ入りを決意。千葉県の中央学院大に進み、4年時の関東学生ゴルフ選手権で連覇を達成。また同年の文部大臣杯・全日本学生王座決定戦を制し、2001年に満を持して念願のプロデビューを果たした。

あれから8年。
「自分でも、そろそろ結果をと思っています」。
出場権のない時代は、積極的にアジアンツアーや韓国ツアーに目を向けて、レベルアップをはかってきた地道な努力が、いま花開くか。

冨山 聡 (とみやまさとし)
1978年4月9日生まれ、茨城県出身。身長177センチ、体重69キロ。
15歳から本格的にゴルフを始め、千葉の中央学院大4年時に関東学生ゴルフ選手権で連覇、文部大臣杯争奪全日本学生王座決定戦で優勝をあげ、2001年にデビュー。
昨年は、出場全試合で予選通過を果たしたばかりか、1勝をあげたチャレンジトーナメントで賞金ランク2位につけ来季前半戦の出場権を獲得。
選手仲間やスタッフからの愛称は、苗字の一字を取って「トミー」。
日本が誇る、あの偉大なプレーヤーと同じニックネームを持つ29歳が、通算3オーバーの6位タイから虎視眈々と上位を狙う。

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