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東建ホームメイトカップ 2009

中島雅生が2打差の8位に

左の耳にキラリと光るピアスは昨年10月に開けた。「耳たぶに穴を開けると運が向いてくる」。世間でよく言われるジンクスを信じて思い切ったがその甲斐はあった。チャレンジトーナメントランク5位の資格で参戦した昨シーズンは、賞金ランク68位に食い込み初のシード権を獲得した。

2006年にはQTのサードステージで失敗。出場権さえ失って、犬や猫の毛を刈る美容師(トリマー)にでもなろうか……。失意のどん底に”転職”さえ考えた中嶋家の長男が、ようやく表舞台に出てきた。

真新しいウェアやサンバイザーにいくつも縫い付けられたスポンサーのワッペンが、周囲の期待の大きさを物語る。
しかし本人は、「全部、父ちゃんのおかげなんですけどね」と、あっけらかんと笑う。

つまり「父・常幸の力で契約が取れた」という意味だが以前の中島なら、そんなふうには口が裂けても言わなかっただろう。

この日首位に立った小田孔明と親しいが、あるとき戯れに中島が言ったことがある。
「父ちゃんに、孔明さんのこと言いつけるぞ!」。
ぶしつけな物言いに気色ばむ小田に、平然と「使えるものは、親でも何でも使わなくちゃ!」と中島は言ったのだ。

もちろんその場のジョークだが、昔の中島なら冗談でも人前で、父親のことを持ち出すことはなかった。「むしろ、それを出来るだけ隠そうとしていたふうがあった」と、小田は振り返る。

いわゆる“二世プロ”の呪縛。中嶋常幸の長男であることがその足カセになっていたことは、いつもそばで見ていた小田にもよく分かった。
「俺はトミーの息子なんだから。回りに嫌われちゃいけない。行儀良く、好かれるプロに」。
2002年のプロ転向後もその思いばかりに捕らわれて、ゴルフも窮屈なものになっていた。

「そんな雅生が変わったのは、家族を持ってからでした。結婚して子供が生まれたことで人生観が変わったのだと思う。人前でもよく笑うようになったし、お父さんのことを持ち出してギャグにしてしまうなんて、以前の彼にはあり得なかったことだけど、それは彼にとって非常に良い傾向。現実を受け入れることで、逆に吹っ切れたのだと思う」(小田)。

沙野加さんとの結婚、そして長女ひかりちゃんの誕生で、運命が大きく動き出した。

オフの合宿も、こだわりを捨てた3年前から父親とともにしている。急な岩山をロープを使って上り下りする山登りやスキーで下半身強化と柔軟性、バランス感覚を養う。
打ち込み練習で、特に父親から盗みたいのはアプローチの技。
「だんだん、自分のものに出来てきたと思う」。

しかし優勝争いや、優勝の醍醐味までは盗めない。

この日ホールアウト後に中島が言った「最後までしびれながらプレーすることが、プロの醍醐味」とは、父親もよく言うことだ。
ツアー通算48勝の父親の口から出てくる言葉は「一言一言が勉強になる」。確かにそうだろうが、実際のところは自分の経験から知るしかない。

「優勝争いをして、優勝の喜びを味わってみたい」と中島。
1973年のツアー制度施行後、親子でツアーを制したのはまだ1組しかいない。
首位と2打差に夢はふくらむ。

※親子でツアーを制したのは…
1973年のツアー制度施行前なら1952年に日本プロなど他3勝をあげた井上清次と、78年の中部オープンや84年の東北クラシックの2勝をあげた息子の幸一がいる。
施行後はツアー28勝の杉原輝雄と、息子の敏一が91年の関西オープンを制している。

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