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アジアパシフィックオープンゴルフチャンピオンシップ パナソニックオープン 2012

石川遼は「気持ちを込めて恩返し」

大会主催のパナソニック所属。17日月曜日には、21歳の誕生日を迎えたホストプロが、思い出深い舞台に帰ってきた。第5回のコースは兵庫県の東広野ゴルフ倶楽部だ。

プロデビュー年の2008年に、ダイヤモンドカップで予選落ちを喫したコースでもある。
「あのときは、手に負えない感じでした」。

さらにさかのぼること2006年。
中学3年で出た日本アマ。
「初日に81とかを打って」。通算11オーバーで、これまた決勝ラウンドに進めず「あのときのほうが、悔しかった」。無残に跳ね返され続けた記憶がまざまざとよみがえり「ボギーばっかり打っていた印象。難しくて自分にはダメなのでは」との一抹の不安を持ってのコース入りだった。

それだけに、火曜日のプロアマ戦から数えて27ホールををこなして「まったく苦労しなかった」というよりむしろ、「こんなにプレーしやすいコースだったんだ」と、あれから劇的な変化に「4年で変わるもんだな」との言葉には、なおさらいまや押しも押されもせぬトッププロとしての自負がにじむ。
「高い球、低い球。ドローにフェード・・・。球を操って攻めていかなければいけないホールが多い。昔の自分の技量では、見えていなかった部分。こんなに攻めごたえのある素晴らしいコースだったんだ」と、3度目の挑戦にして気づかされた。

たとえば2008年は、「ひたすらドライバーを打って、アイアンで乗せて、パットを打つというゴルフ。あのときは、自分にはどういうゴルフが合っているのかを模索しているときで、コースによって、自分のプレースタイルを変えることはなかったので」。

しかし、あれから4年。「自分のゴルフを開催コースにフィットさせていくという作業は今年、アメリカでずっとやってきたこと。ただピンをデッドに狙うだけじゃない。そういう試合を今年は半分以上してきたので」。

世界の舞台で揉まれてきたことで、4年前とは違う景色が石川には見えている。
「アメリカでの経験を生かしたい」と、気合いが入る。

今大会の関係者は今年、石川の海外での連戦に応援がてら訪れ、米ツアーのコースセッティングやホスピタリティをくまなく見て回り、「トーナメントとは、こうあるべきなんじゃないか」と、石川とも話し合う機会を持った。

たとえばひとつに、今週は18番グリーンサイドにそびえる巨大なギャラリースタンドは2000人以上も収容可能だ。「それだけ力を入れて、大会を開催してくださることに、感謝している」。
ましてこのアジア太平洋地域のNO.1を決めるビッグイベントが、ホスト試合であることには自ずといっそう気持ちが入る。
「ずっとお世話になっているスポンサーなので。そういう気持ちもこめて、良い恩返しがしたい」。
この舞台で2年ぶりのV10が、史上最年少記録での到達になれば最高だ。

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