Tournament article
中日クラウンズ 2012
I・J・ジャンが53代目のチャンピオンに
「僕は和合が大好きなので」。誰もが悲鳴を上げる難コースも、「なぜかここにくると、楽々でプレーが出来る」と歌うように言った。
唯一「苦手」というホールは3番だけ。「ティショットが打ちづらい」と、前日はボギーを打った最難関のパー4も「常に我慢」と言い聞かせて、この日は難なくしのいで前半3つのバーディで折り返した。
「名古屋が大好きなんです。雰囲気も、食べ物も」。特に好物は、若干噛んで「ひつめぶし・・・」。もとい、「ひつまぶし」は名古屋に来れば、必ず名店の暖簾をくぐる。
「去年は毎日通って負けたので。今年は1回だけ」と、そんなゲン担ぎもぬかりなく、大会2日目の夜に鰻パワーの注入で「ますます調子が良くなった」。
大混戦の展開も、常に余裕の構えで引っ張った。16番で、1メートル弱のバーディチャンスがカップに沈むと「これで勝てる」と確信した。
最後のウィニングパットは、「フックラインが嫌いなので」と微妙な距離に、さすがに顔がこわばったが、後ろの最終組のコンランが、17番でボギーを打って2打差に沈み、今年はプレーオフの心配もご無用だった。
2004年の韓国ツアー賞金王。日本ツアーは参戦わずか5試合目に初優勝を達成したのは翌年2005年の三菱ダイヤモンドカップ。そこからスター街道を駆け上る気満々で、着手したスイング改造がみごとに失敗。
「プロは誰でも欲張りなものですが、僕ももともとフェードから、ドローを打とうと思ったんです」と、レベルアップを期したつもりが、2008年にはシード権すら失った。
予選会のQTはいちからの出直しも、すぐ翌年には表舞台に返り咲き、再三チャンスに絡むも、勝ち星には恵まれないまま、いつの間にか初Vから6年と11ヶ月余が過ぎていた。
今年39歳。同い年のS・K・ホとともに、「僕らももうおじさんです」。日本で戦う韓国勢の中では、ホと揃っていつの間にか最年長プロになっていた。
勝てずにいる間に韓国勢も、若手が次々と台頭して、昨年、一昨年と続けて「若い2人」が賞金王に輝いた。また昨年は、25試合中8人の韓国人チャンピオンが誕生し、後輩が勝つたびに祝勝会を開いた。
特に「裵相文(ベサンムン)は、去年3勝でしょう。とてもお金がかかりました」と冗談めかして苦笑する。
それでも温厚で人の良い先輩は「S・Kが会長で、僕は副部長」と、チーム・コリアのまとめ役に徹して、マナーや技術の向上に力を注いできた。このオフには、韓国系アメリカ人の妻サンディさんと、長男エイデンくんと住む米ロサンゼルスの自宅に若手を招いてラウンド合宿を行うなど、面倒見の良さには人望も厚い。
成績でも、もちろんチームを引っ張る。伝統の中日クラウンズは今年53回目にして、初の韓国人チャンピオンの誕生だ。和合での快挙にすっかり気を良くしたジャンは、「僕も賞金王を狙います」と、にこやかに宣言。また「今年はアメリカツアーにも挑戦したい」。韓国が誇るアラフォーの星が、今年から本格参戦の裵(ベ)に負けじとその背中を追いかけていく。