Tournament article

長嶋茂雄 INVITATIONAL セガサミーカップゴルフトーナメント 2013

薗田峻輔がコース新、単独首位浮上【インタビュー動画】

後輩の石川遼がかつて、その強さをして言った。「薗田先輩は王様」。デビューから、5戦目の初VはJGTO発足後でいえば、当時の最速タイ記録でそれを証明してみせたのは、2010年。改めて、そのポテンシャルの高さを示すこの日のラウンドだった。

このセガサミーカップは、怪我からの復帰4戦目。今季は初戦から、6試合を棒に振った選手が、本当にふいに息を吹き返した。あまりの大爆発に、やにわにコースはざわめいた。

もっとも、一番驚いていたのは本人だった。13番から6連続バーディは、さすがに本人も17番で、グリーンの奥に打ち込むピンチに「あ〜ぁ、また例のパターンだよ」。

それまでの自己ベストは64。その記録更新が見えてくると、無理に取りに行って、ボギーを打つ。それが薗田が言う今までの「例のパターン」。この日は違った。20ヤードのアプローチは「ジャストタッチで入ってしまって」。それまでは、自分のスコアを数えたりすることもなく、プレーに集中していたのに、このチップインバーディにはさすがに、「自分でも唖然とした」と一瞬、ぽかんと「びっくりして、興奮しました」と、その勢いのまま、最後の18番でも奥から5メートルのバーディ締めには「完璧です、出来すぎです」と、ただただ目を剥くばかりだ。

自己ベストはもちろん、コース新を2つも縮める61で、やにわに割って入ったV争い。
デビュー当時からの良き相談相手であり、「良き兄貴分」に感謝しなければいけない。
先週のミズノオープンで、原口鉄也が練習を見てくれた。デビュー時と、今のスイングをビデオで見比べながら、「良いときのお前はもっと左にクラブが抜けていた」。簡単に言うと、クラブがもっとアウトサイドインの軌道を描いていた。「もっと思い切って振り抜かなきゃいけない」と言われて、練習を始めた矢先の猛チャージだった。

今季は1月にトレーニング中に、左膝の半月板を損傷。
逡巡の末に、2月20日に内視鏡の手術に踏み切り、全治2ヶ月との診断を受けた。周囲の強い説得により、試合やトレーニング中の怪我を公傷とみなしてシード権の確保に猶予期間をもらう“特別保障制度”の適用を受けて、治療とリハビリに専念。

3ヶ月あまりの間に、同い年でジュニア時代からの大親友の小平智が大活躍をした。鮮烈デビューの薗田に対して遅れてプロ転向を果たした小平は、2年ほど足踏み状態が続いていただけに、「ヤツの活躍は、嬉しかった」。ついに、「日本ゴルフツアー選手権 Shishido Hills」で小平が初優勝を飾ったときも、心から祝福しながら一方で、5年シードのビッグタイトルに「先にメジャーに勝たれて悔しい」と、刺激を受けるには薗田には十分すぎたほどだった。

そして、この日の小平は「あいつ、いくつ獲るんだ」と、リーダーボードに呆れながらも「峻輔と最終組で回りたい」。その一心で4位タイ浮上。薗田いわく「俺たち世代の口癖は、“あいつが出来るなら、俺にも出来る”」。追いつけ、追い越せで高め合う。つまづいても、思うようにならなくても、良き仲間で良きライバルがいるから頑張れる。

なかなかシード権すら取れなくて、苦しんでいた小平も、何度も悔しい思いをして、跳ね返されて、「でもそんな経験を繰り返す中で、次は絶対に勝ってやるぞ、と思って優勝したのだと思う」。薗田は今年、6月のダイヤモンドカップで復帰を決意したが、茨城県の大洗ゴルフ倶楽部で予選落ち。「復帰はまだ早すぎた」「失敗だった」と周囲には言われた。でも、薗田には信念があった。
「大洗は難しいコースだからこそ、良いリハビリにもなるし、自分のいま足りないところが見えてくる」。難コースだからこそ、予選落ちでもショックが軽いという、したたかな計算もあった。
その次は、小平が初Vをあげた週も、2試合連続の予選落ちでも焦らず超速で、再び表舞台に戻ってきた。
「明日は久しぶりの優勝争いなので。きっと緊張しちゃって、僕もどうなるか分からない。でも失敗しても、それをひとつの経験として、とにかく悔いの残らないように、やれればいい」と、朗らかに言った。

関連記事