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フジサンケイクラシック 2014
岩田寛が待ちに待ったツアー初優勝【インタビュー動画】
ピンそばのバーディで、最後の最後に突き放した。劇的な幕切れも、本人には「意外とあっけなかった」といつものように、ガッツポーズさえ見せずに淡々と上がってきて、何が驚いたって「谷口さんが泣いていたこと」。
4年前から、オフの宮崎合宿に加えてもらった恩人だ。「それまでの僕はスイングに悩んでばっかり」。しかし谷口の言うことも、やっていることも「びっくりするほどシンプルで。僕も変わった。尊敬する人」。46歳の大先輩の恒例の“後輩いじり”も、「子どもっぽいところはあるけど、僕は谷口さんのことが好き。泣いてくれたし・・・」。泣きながら、抱きついてきた恩人に、「僕も、ウルっと来そうになりました」。それと、昨年のツアー最終戦と、今年の開幕戦を制した大学の同級生は「あのときは、僕も感動して凄く嬉しかった」と、祝福した友。「優作も、今日は僕のために泣いていてくれたみたいで、それも嬉しかった」と表現は不器用でも、感謝の気持ちを胸一杯に込めた、嬉し恥ずかしヒロシの初の優勝会見だ。
「喋るのが苦手でスミマセン」と、本人は何度も微妙な間合いを入れながら、モゴモゴと謝ったが、「普段のヒロシは冗談しか言わない。酒をのんだらもっと面白くて、喋りっぱなし」とは、専属キャディでこれまた大学の同級生の新岡隆三郎さん。「いつもどおりに喋ったらいいのに」と、そこも新岡さんにはじれったく、普段は温厚な性格なのに、ことゴルフとなるとキレやすく、ひとつのミスでやる気を無くしてしまうところもじれったく、何度も親友の尻を叩きながら、やっとこの日にこぎつけた。
2004年のプロデビューから、「いつ勝ってもおかしくない」と言われ続けて早10年がたった。もっとも大きなチャンスが2008年のこの大会だった。18番は1メートルもないバーディチャンスをみすみす逃した場面はこの日も、最終ホールでふと岩田の頭をよぎって、不安を覚えたほど。あのときは、やはり大学の後輩の藤島豊和に追いつかれてプレーオフで敗退。
また同じ年のつるやオープンは、最終日に2位と2打差で迎えた17番と、18番でまさかの連続ダブルボギーに倒れた。
再三のツメの甘さも近頃では「キレないで、1打1打に集中していこう」と自ら肝に命じて辛抱強く、この日は最後のウィニングパットも「何百万回くらい練習したライン」と、ほぼストレートのバーディチャンスを今度こそ逃さずに、本人以上に周囲が待ち焦がれていた初優勝だ。
「どのスポーツをする時も、僕の中にはアメリカがあった」と中学時代の野球も、そのあと真剣にプロの道も考えたというスケートボードも、「やるなら世界で」と、決めていた。それがふいにゴルフを始めることになったのは実は、シニアの資格認定プロでもある父親の光男さんの怒りの矛先をそらすため。「怖かったから・・・」。野球部を辞めるのは、スケートボードをやるためと光男さんに見抜かれて、「これからは、ゴルフをやります」。その場しのぎに言って、進むことになったゴルフの道でも、本場の舞台を目指して歩く。
今年も米ツアーの出場を目指して、二部ツアーの予選会から挑戦するつもり。これまた大学の後輩のスーパースターの松山英樹のバッグを担ぐ進藤大典さんも、岩田とゴルフ部の同級生で、いつも言われる。「ヒロシも早く来い」と。
松山には「もうちょっと、楽しそうにゴルフをしてくれたらいいけど。いっつもふて腐れて」と自分のことはさておき先輩風も、ぜひ現地で直々に伝えられたら。
照れくさいから父親への優勝報告も、「テレビで見ていると思うので」と、改めてするつもりもないが、ある日父親に言われた。「俺を黙らせるくらい努力してみろ」との金言は、今も息子の胸にしっかりと刻まれて消えない。
今となっては、これまで再三のチャンスも「あのとき勝ってなくて良かった。逆に調子に乗って、シード落ちしていたと思う」。2006年から9年連続の賞金シードこそ、そのたまものだ。
このたびの初Vでも泣かなかった。そんなヒロシが「夜、寝る前とか思い出すたび泣きそうになる」と言ったのは、2011年の春。その日は、たまたま沖縄合宿から帰る機中にいて岩田は難を逃れたが、故郷をのみこんだ大津波は、大学ゴルフ部の同級生の奥さんとお子さんの命も奪った。岩田は仙台空港に駐車していた愛車が海に流されたが、比べものになんかならないくらい、かけがえのない何かを亡くした人たちが大勢いた。
「経験した人じゃないと、分からないとは思うんですけど、それを思うと泣けてきます」と言った。その年の岩田の初優勝への思いは並大抵ではなくて「今年勝てなかったらタダの人だと思っている」と、それほどの覚悟から早3年がたってしまったが、親友にもようやく報告が出来る。
「僕は有名選手じゃないけど、それでも僕のことを知っている人が、この優勝に何かを思ってくれたら嬉しい」。震災直後は泣き暮らしていたという親友にも今回の初優勝が少しでも、胸に響けば良いのだが。