ZOZO CHAMPIONSHIP 2019

ウッズが日本で偉業を達成。最多の82勝

新たな伝説誕生の地は、日本だった。ウッズが日本初開催の米ツアーで、偉業を達成。初日から首位を走る完全優勝で、サム・スニードが持つツアー記録の82勝に並んだ。

2日目の豪雨の影響で、5日かかった72ホール目を4メートルのバーディで鮮やかに締めくくると、何度も手を振り笑顔で大歓声に応えた。
「日本でこの記録に到達できたのは、とても不思議なことです」。

偉大な記録をかけて、13年ぶりの日本で臨んだ復帰初戦。
2万人近くの大ギャラリーが見守る中で、初日は出だしにいきなり躓いた。
「3連続ボギーから、まさかこのようなスコアで上がれるとは。なんとかカムバックできた」。
その後、怒涛の9バーディで、首位発進したが2日目は中止。
無観客試合の3日目に第2ラウンドを回り、第3、4ラウンドをスタートした4日目は、7ホールを残して、決着を翌月曜日に持ち越した。
「5日間の大半を、リーダーとして過ごしたので精神的にストレスがかかった。コントロールするのが難しかったしとても長く感じた」。

5日目に突入したこの日は、再開ホールの難しい12番でボギーを叩いた。いきなり2差に縮まった。
「ヒデキが追い上げて、私のミスもあり接戦になった」と厳しい展開の中で、前の組で回る松山を常に観察しながらのプレー。
14番の2打目は、「ヒデキのパットの結果を見たかったので、あえて打つのを遅らせた」と、グリーン上の松山を注視。
1.5メートルのチャンスを外すのを見届けてから、3打目を4メートルにつけてバーディを奪った。
18番では、ティショット後に松山が不満げに落胆する様子や歓声や拍手、ギャラリーの反応も合わせて状況を読み取るなど、冷静な試合運びで3差で逃げ切った。

サム・スニード氏とは幼少期に2ホールを共にプレーしたのが最初の出会いという。天才アマからプロになり、氏が引退後も栄誉スターターをつとめたマスターズでは、サラゼンやバイロン・ネルソンら伝説の男たちを交えて、オーガスタのクラブハウスで語り合うのを毎年楽しみに、02年に83歳で氏が没するまで親交は続いた。

氏が、52歳の1965年にツアー最多勝利となる82勝をあげてから54年。
06年、30歳のビュイックオープンで、ツアー通算50勝をあげたころから氏の記録を意識し、43歳で追いついた。「82勝はとても大きな数字。長い期間、安定してやり続けるということを意味している。それを40代で出来たのは幸運だった。以前は違ったが、今は間違いなく未来は明るい。素晴らしい1週間」。
しみじみと語った。

日本でプレーするのは、3連覇を逃した06年のダンロップフェニックス以来だが、当時のような派手なガッツポーズも、歓喜の跳躍もなし。
8月に、5度目の手術をした左ひざの感触を確かめながら、一歩一歩、快挙への道に向かった。
「数カ月ぶりにしゃがんでパットのラインを読むこともできるようになり、このような小さなことが、大きな違いを生む。スイングスピードも戻って、そのおかげで背中の痛みも少し和らいだ」。わずか2カ月で、驚異の復帰初戦を果たした。

23歳の96年に初優勝を飾り、今年4月のマスターズでは歴代2位のメジャー15勝を飾ったが、栄光ばかりではなかった。
09年には交通事故などスキャンダルにまみれて、無期限の欠場に追い込まれた。17年には逮捕の衝撃もあった。多くの人が、ウッズの元を去ったが、13年ぶりに戻った日本では、当時とまったく変わらぬ敬愛と尊敬の大合唱を聞いた。
「日本のファンは知識が深く、情熱的。彼らの前でプレーすることは、特別な意味がある。今日も月曜にもかかわらず、応援しにきてくれた。また来年が、待ち遠しいよ」。

この1勝で、世界ランクは6位に浮上。東京五輪の代表資格がある米4番手にも躍り出た。「金メダルを目指して戦ったことがない。出場できたら光栄なこと」。
2020年にはまた、多くのタイガーコールを浴びに戻る。

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