「谷原さんも僕も、オフは何かと紛れて調整不足で今週を迎えてしまいましたが、谷原さんも僕も、なんとかベテラン2人で4日間、プレーできれば」と、控えめながら意気込みを口にした。
開幕を2日後に控えた29日は、会場の東建多度カントリークラブ・名古屋で新理事が、就任日の今年1月6日に続く2回目の選手会理事会で、就任後の初顔合わせ。
その前に、谷原とこの日の議事録をすりあわせたり、入念な打ち合わせをして臨んだが、「あくまでも、僕は選手会長や、副会長の補佐的な役目。予算や書類の作成は、JGTOの方にお任せしていますし、本当なら僕はいなくてもいいくらいなんですけど…」と、理事会後の集合写真も「俺はいいです」と、遠慮。
「いーから! 優作も入れよ」と谷原に促されて左端で一緒にサムアップ。
黒子に徹する姿勢を見せながらも「僕で分かることなら、なんでも伝えていきたい。若い選手たちにも選手会運営に興味を持って参加してもらえるように。今、ツアーで何が起きているかを知って、自分たちの問題として考えてもらえるように橋渡しをしていけたら」と、理事会でも積極的に発言や助言を重ねていた。
アマ時代からプロの試合で活躍し、転向14年目の16年ー17年には自身も選手会長に就任。
初年度の本大会では初日の夜に熊本地震が発生し、宮里も対応に追われた。
苦難も味わいながら、2年目の17年には年間4勝。
史上初の選手会長・賞金王に輝くなど、それまで困難と言われていた選手と会長職の両立を、究極の形でみごとにやりとげた。
今年、節目のプロ20年目。
「もう42歳になりますけど、プロ入り前からツアーで様々なことを経験させてもらったおかげで今の僕がある」と感謝し、「スポンサーやファン、関係者のみなさまに支えていただき、ここまで生き延びてくることができました。その中で感じたこと、経験してきたことを駆使して谷原さんや、理事のみんなをサポートしていけたら」。
培った経験や、豊富な知識を次につなげる。
新・選手会事務局長として、胸に掲げた公約のひとつが「プロゴルファーの地位向上」という。
「僕の若い頃から比べたら、試合数も少なく、賞金も減って、今は本当に大変な時代なんですけど、これから若い選手たちが、胸を張って『僕はプロゴルファーです』と、言えるような環境を今作っていけたら」と、使命を語る。
「今の子たちは、みんな普通にSNSを活用していて、それぞれにしっかりとファンを獲得している。僕らがいま、今後の道筋をなんとかつけて、『プロゴルファーって凄いよね』と、みなさんに認めて頂けるような社会的な地位を確立していければ男子ゴルフの未来は非常に明るい。そんな気がしています」と、展望を話した。
練習日の火曜日は共通の恩師の紹介で、大阪学院大学の現役学生プロとして今週、デビュー戦を飾る平田憲聖(ひらた・けんせい)と練習ラウンドを回り、「まだ線は細いけど、ゴルフはめちゃくちゃ上手い。すぐにも活躍してくれるんじゃないか」と、新人にさっそく大きな期待も。
本大会は、2014年にツアー2勝目を達成した思い出の舞台である。
「あのときは、本当にどうやって勝ったのか忘れちゃうくらい、今はコースがとても難しく感じます」と、苦笑いで首をひねるが昨年末は、残り3戦で4位→2位タイと尻上がりに順位を上げると、最終戦の「ゴルフ日本シリーズJTカップ」で、優勝した谷原とワンツーフィニッシュ。
「お互い練習不足ではありますけど、前回みたいに上手くコースを攻略して、谷原さんとさっそく今週もまた、上のほうで戦えたらいいなと思います」。
調整不足も経験で補う。