朝から人が溢れて、練習場には入場制限がかかった。
最終組が18番を終えた時には、いっせいに退場する人々で、一時、身動きも取りにくくなったほど。
石川遼は「ティショットからグリーンまで本当にたくさんの人たちでいっぱい。感動しました。ぐっと来るものがありました」と、大声援を力に3日目をプレー。
2打差2位の最終組から出て、3番パー3でさっそく沸かせた。
外からパターで長いイーグルトライはカップをぐるりと回って逸れたが歓声と悲鳴が交錯するスリルを演出。
一気に盛り上がった。
「調子は良くなかったですけどたくさんのお客さんが後押しにもなりました。集中も、試合を楽しむこともできましたし、その表れかな」と、下り2.5メートルを沈めた15番や、最後18番のバーディ締めのほか、17番では渾身のパーセーブでもガッツポーズが出た。
今年、50回を迎えた記念大会。
「いろんな人たちの思いが詰まった試合。来年もまた来たいと思っていただけるように。本当に頑張らなくちゃ」と、踏ん張ったが4つのバーディに対して、ボギーも3つ。
「ミスショットや苦しいパーパットや、アプローチも難しいところに行ってしまって、もういっぱいいっぱい」と、苦しみをこらえて通算7アンダーの2位タイで居残った。
大会史上4人目となる最多の3勝目をかけて「なんとか最後のチャンスに入れた」と、最終日最終組の好カードに入った。
プロ初勝利の通算3勝目がかかる蟬川泰果(せみかわ・たいが)と、3打差。
「蝉川選手以上にガンガン行ける選手はいない。僕がガンガン行ったところで彼のガンガンには及ばないですから」と21歳の若さと勢いには素直に観念する。
「自分のプレーをするしかない」と、この日最後の18番も、軽々と300ヤードを越える若手に対抗して、3番ユーティリティからまた、242ヤードの2打目で3番ユーティリティを握って2オン成功。
2パットのバーディで締めた3日目の攻略について「ドライバーで攻めて次8アイアンで、というシナリオもあったが、自分の今の状態だと狭いところに通せる精度がない。少しだけ幅を許される攻め方をした」と、説明。
2010年の初制覇に続いて2012年の大会2勝目では、自身も1Wを武器に、この日以上のギャラリーと期待を背負ってアグレッシブにプレー。
10年を経た今は、技と経験を駆使して幾通りもの攻略ルートを備える。
最終日に、もし2打差で最終ホールに入ったなら「ドライバーもある。どこに打っていけばいいかも分かっている」と明言。
31歳には、最後の最後に再び大観衆を沸かせる最短のイーグルルートもしっかりと頭にある。