「日曜日に『出られるよ』とスタッフさんから連絡をいただいて」。
急いで準備をして、地元福岡県篠栗町(ささぐりまち)の自宅から出てきた。
デビューの今季、9試合目の10月「日本オープン」で自己最高の3位タイに入賞。
賞金ランキング22位(当時)で、初シード入りを確定させたが、昨季QTにはサードで失敗。
推薦出場を活用し、効率的に稼ぐことはできたが、ついに1年で適用可能な上限に到達。秋以降の高額試合には出られなかった。
「先週で絶対に抜かされると思っていたので、今週も出られないと」。
気持ちも体もすっかりオフモードに突入していたのにランク29位で滑り込み、嬉しいやら慌てるやら。
「練習不足ッス…」と、きょうまで2日で1ラウンド半。急ぎ足で調整を重ねたが「無理っス。ムズいっス…」と、特にグリーン周りでまだ四苦八苦している。
急に出場が決まったので、キャディさんも「しゃーなし」でトップアマの父・清一さんに決定。
「私も友達のほうが気が合うだろう、と思ったのですが空いている子がいなかったようで…」と、一緒に家を出てきたが、練習ラウンドでも会話なし。
6月の地元開催「ASO飯塚チャレンジドゴルフトーナメント」も親子タッグで6位の成績を残したのに「オヤジが指導してくるのがウザかった」と、不満を買ったようだがそれも「全部自分でやって、間違ったら自分の責任」というプロ根性が芽生えた証しだ。
「しょうがないから、バッグはオヤジに運んでもらいますけど、プレーは全部自分で決める」と、隣でツンツンする息子を尊重しつつ、「初出場なんですけど、息子は初めてのほうがいつも良いところにいく気がします。怖いもの知らずで、体がよく動くからかな?」と、ひそかに抱く親心。
「プロ初年度で、こんなに大きな舞台に連れてきてくれた。最高の息子ですね」。
ぎりぎりで滑り込んだ大舞台でツアー初優勝なら、1981年に羽川豊氏が記録した23歳の大会最年少V記録を大更新。
長野が3位に入った「日本オープン」で、蝉川泰果(せみかわ・たいが)が大会98年ぶりのアマV&史上初のアマ2勝を達成したが、こちらのタイガもウッズの全盛期にあやかり名前を当てた家族の希望の光。
親心子知らずでも、お父さんは幸せいっぱいだ。