「やっと支障なくできるようになりました」と、まずは事前の会見で安堵したのは長引いていた肺の炎症について。
4週前に発症し、先週も含めてその間2度の欠場も余儀なくされていた。
「戻ってこれてよかったです」と、火曜日のプロアマ戦に続いて、開幕前日のこの日は、中島啓太(なかじま・けいた)や河本力(かわもと・りき)、杉本エリックらと元気に練習ラウンドをプレー。
深いラフからアプローチを繰り返したり、アンジュレーションの強いグリーンの状況を見て歩いた。
「日本オープン」は、アマで初出場した2007年から12度挑戦。
うちトップ10が5度。
「デビューした頃は優勝しそうになったんですけど、当時は勢いというか、自分の力をフルに出し切って、全部ドライバーで行ったりとか。怖いものしらずといわれればそれまでですが、マネジメントはほぼ皆無」と、振り返るのが、プロ初年度の2008年。
福岡の古賀で2位だった。
さらに、翌2009年には3人のプレーオフを争い2位タイ。
2010年は8位タイ。
「当時は良かったと思うのは、目の前のショットに100%コミットし、集中して打っていたこと」と、10代で立て続けに肉薄した優勝も、その後は米ツアー参戦で留守にした時期もあり、届きそうで届いていない。
「昔はとにかく攻める攻めるで打っていて、昔のほうがゴルフが簡単だったな、と思いますけど昔には戻れない」と、いま現在と比較する。
「そこからドライバーがかなり曲がって。イメージが湧かないな、なんていう年もあったり、頭から離れない失敗体験も、成功体験もありますけど、巡り巡って色々経験し、メンタリティ的にもいろいろと学ばせてもらっているのがこの大会だと思います」と、回顧する。
「スポーツ選手にとって経験は、プラスの面ばかりでもない。自分で難しくしてしまう可能性もある。その度合いがより強くなるのがこの大会のイメージです。経験の処理だったり、整理の仕方が大事だな、と経験上思っている」と、今年も難コースの攻略と共に、自分との戦いを覚悟する。
「今までの経験を駆使して、可能性を広げていくのにつなげられたら本物」。
15年の紆余曲折を経た32歳の初タイトルこそ確かに、本物!