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日本オープンゴルフ選手権競技 1999

大会開催によせて/中嶋常幸

1990年にこの小樽カントリーで開かれた日本オープンのチャンピオン・中嶋常幸はその翌年、下関での大会も制して、85年、86年に続く2度目の2連覇を果たし日本オープン通算4勝をマークしている。
長男の中島雅生君は昨年、古賀GCで開催された日本オープンに出場しているが、今年も日本アマチュアで10位に入り、今大会の出場権を得ている。今年9月に行われた関東オープンでは最終日に一時トップに踊り出る活躍で単独2位(ロー・アマ)。親子揃っての小樽入りとなった。

「このところ優勝狙いのゴルフは頭になく、1打でもよくするだけのプレーをしている。しかし、出場試合数を絞って体も技術も日本オープンに向かって、ようやく間に合ってきたかな、という感じです。

2日間、練習ラウンドを回ってみて、このコースは果たしてアンダーパーが出るのかな? と思った。

前(90年)よりグリーンまわりの刈り方が違うので、こぼすといろいろなショットを要求される。その要素だけでも5アンダー(昨年の優勝スコア)以下になってしまう。低気圧が接近してきたらアンダーは出るのだろうか…?

フェアウェイ幅が、例えばロングの場合、グリーンまで100ヤードぐらいは12〜13ヤードぐらいしかない。レイアップしても、そこに止められない。そうするともう少し広い150ヤードぐらいのところに止めると残りが7、8、9番アイアンになる。そういうフェアウェイの絞り方が選手を苦しめる。アンダーパーは非常に難しくなる。

2度目だけれど、息子と同じ日本オープンに出られるのは、出場選手の中で一番幸せだと思う」

★1990年日本オープンゴルフ選手権競技・プレイバック

最終日、首位のジャンボ尾崎と4打差の3位でスタートした中嶋は、「きょうは、コースと共に戦うんだ。他人のプレーを見てはいけない。60台を目指すしかない」と心に誓い、同組のジャンボを追い詰めていった。

 逃げるジャンボ尾崎は、チャンスのパットが決まらない。パットの悪さをカバーしようとするあまり、ショットにも正確性を欠いていく。

 12番、191ヤードのパー3。

 ジャンボは4番アイアンで、コントロール重視の抑え気味の球を打った。ボールは右にふけてグリーン手前のバンカーへ。ボギーだ。

 対する中嶋は、5番アイアンでヒピン手前1メートル、バーディを奪いジャンボをがっちり捕らえた。

「トミー(中嶋)が奇跡的なパットを決めていた。こっちは入らないから、追いこまれてプレッシャーを受けたんだ」(ジャンボ尾崎)。

 ジャンボは、16番でも5オン1パット、17番・182ヤードのパー3では、1,5メートルのパーパットをはずして、息絶えた。

 4打差を、ひっくり返して劇的な、逆転V。18番の第2打を打ったとき、中嶋の頬には「鳥肌がたった」という。「こんなことってあるんだね、自分でも、驚いているよ」と中嶋は、あとで語った。

 9年ぶりに、ここ、小樽に帰ってきた日本オープン。果して、今年は誰が、“日本一”の栄誉を勝ち取るだろうか。 

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