Tournament article
ファンケル沖縄オープン 1999
わずか数十センチ、わずか数万円が、人生の明暗をわけた昨年大会
16番ホールでパーパットをカップインさせた後、田中秀道はヒザに手をつき、苦衷の表情で一点を見つめ、そのまましばらく動けなかった。目には、涙が浮かんでいた。
首位を走る横山明仁が、田中に1打リードで迎えた16番パー4。
横山はティショットを大きく左に曲げ、球はOB杭から70センチ外側のカート道へ跳ねた。
続けて打った田中の第1打は、同じく左へ。しかし、ギャラリーとテレビカメラのコードに助けられ、杭から70センチ内側に止まった。
田中はこのホールをパーで収め、横山はダブルボギー。
横山にとってそれはただの優勝争いではなかった。来季のシード権を得るためにはこの大会で勝つしか道はない、という、まさに生活をかけた争いだった。
続く17番もボギーとして横山は、田中に破れた。
横山は賞金ランク65位(2022万6360円)に終わり、ボーダーラインだった64位の木村政信との差額はわずか8万3669円。
「たったそれだけなの? それってなんとかなんないの? 65位までシード入りさせてもらうわけにはいかないの?」
終わってから、誰とはなしにつぶやく横山の目は、うつろだった。
勝った田中の胸には、ニガイ思いだけが残った。
「なんか・・・涙がでそうです。胸がつっかえたみたいになっている」
ホールアウト後、田中は何度も目をしばたかせた。
16番のわずか数十センチ、賞金のわずか数万円差が、人生の明暗を分けた昨年大会だった。
横山は最後にポツリと言ったものだ「でも、それが運ってものなんだよね」、と。